フランシス・フクヤマは2002年のエッセイで、「イスラムファシズム」Islamo-fascismという自らの造語を連発している。 |
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A strong finger of blame for the rise of Islamo-fascism must point at Saudi Arabia (Francis Fukuyama, Has History Started Again? 2002, PDF) |
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これはふつうは怒るよ、西側の価値が全能だと思い込んでいる連中以外は。例えばジジェクは、だったらあの西側も「クリスチャンファシズム」Christo-Fascismと呼んだらいいじゃないかと言っている。 |
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誰あろうフランシス・フクヤマが提起した「イスラムファシズム」Islamo-Fascismは正当化できるだろうか? もしそうならファシズムの西側形態も「クリスチャンファシズム」と呼べばいいのではないか?[ "Islamo-Fascism …proposed by (amongst others) Francis …justified? …is one then also ready to describe Western forms of fascism as "Christo-Fascism"?](Zizek, "FIRST AS TRAGEDY, THEN AS FARCE ", 2009) |
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米国が事実上のボスNATOはクリスチャンファシズムに他ならない(正教会はなぜか排除してるらしいが)。で、その観点が毛ほどもない日本のリアルポリティックなる国際政治学者たちに苛立ってるんだ、ヒドクね。口には出してないが、このところのボクの通奏低音は(あの正義面したネオファシストたちめ!)だよ。 もっとも西側が生み出した「世界史的理念」はとっても尊敬してるけどさ。世界資本主義のイデオロギーにどっぷり浸かった今の西側が潰そうとばかりしてきたあの「至高の理念」には。今のところゼンゼン西じゃなく、極東の島国の憲法にのみに偶然に書き込まれている、あの「非武装中立」ってヤツとか、一国社会主義という誤った形で導入されて悲劇的な結末に終わった「コミュニズム」ってヤツだ。 ……………
実際のところ、世界史的理念はスピノザ起源のコモンティスモ[commontismo]しかないよ。そんなのはアタリマエだ。 でクズしかいないってことだ、あの経済音痴で国民国家しか思考していない日本の国際政治学者たちは。 |