ゲーリングはヒトラーの後継者と目されていた人物で、最終階級は国家元帥 (Reichsmarschall)。上のものは独房にて法廷心理学者との対話のなかでの発言らしい。 |
もちろん、普通の人間は戦争を望まない。〔・・・〕しかし、政治を決定するのは国の指導者だ。国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。 国が民主主義であれ、ファシスト独裁であれ、議会制あるいは共産主義独裁であれ。〔・・・〕とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 |
Natürlich, das einfache Volk will keinen Krieg […] Aber schließlich sind es die Führer eines Landes, die die Politik bestimmen, und es ist immer leicht, das Volk zum Mitmachen zu bringen, ob es sich nun um eine Demokratie, eine faschistische Diktatur, um ein Parlament oder eine kommunistische Diktatur handelt. […] Das ist ganz einfach. Man braucht nichts zu tun, als dem Volk zu sagen, es würde angegriffen, und den Pazifisten ihren Mangel an Patriotismus vorzuwerfen und zu behaupten, sie brächten das Land in Gefahr. Diese Methode funktioniert in jedem Land. (ヘルマン・ゲーリングHermann Göring ーー独房での法廷心理学者との対話にて、1946年4月18日) |
しかしこういった風潮ーー防衛費GDP比2%にほとんど誰も強く反対しないという現象ーーをウクライナ戦争を契機に、国際政治学者や軍事評論家たちが作ったんだよな。もはや誰を中心に作られたとは言わないでおくが。
何はともあれ、ゲーリング曰くの《国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張すること》、これで国民はコロッと軍備増強になっちまうもんさ
実際、人間が端的に求めるものは「平和」よりも「安全保障感 security feeling」である。人間は老病死を恐れ、孤立を恐れ、治安を求め、社会保障を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃とを恐れる。人間はしばしば脅威に過敏である。しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。完全なセキュリティというものはそもそも存在しないからである。 「安全保障感」希求は平和維持の方を選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。まことに「安全の脅威」ほど平和を掘り崩すキャンペーンに使われやすいものはない。(中井久夫「戦争と平和ある観察」2005年) |
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次のなんかもあのミリオタ道化師やその同盟者たちが積極的にやってきたことなんだよな。徹底抗戦とかマガオで言ってきた連中が。
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もはや止まらないだろうな、この流れは。せめてデモ起こせよ、チョロいのじゃなくて少なくとも10万人規模のデモを。日本には反対してる人間もいるんだというデモンストレーションしとかないとな、せめて。そうしないとほんとに「世界の孤児」になっちまうぜ。