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2022年7月7日木曜日

中井久夫における現実神経症(現勢神経症 Aktualneurose)

  

中井久夫は、私の知る範囲で、フロイトの「現実神経症」Aktualneurose概念ーー現勢神経症とも訳されるーーについて三度触れている。


戦争神経症は外傷神経症でもあり、また、現実神経症という、フロイトの概念でありながらフロイト自身ほとんど発展させなかった、彼によれば第三類の、神経症性障害でもあった。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)


今日の講演を「外傷性神経症」という題にしたわけは、私はPTSDという言葉ですべてを括ろうとは思っていないからです。外傷性の障害はもっと広い。外傷性神経症はフロイトの言葉です。


医療人類学者のヤングによれば、DSM体系では、神経症というものを廃棄して、第4版に至ってはついに一語もなくなった。ところがヤングは、フロイトが言っている神経症の中で精神神経症というものだけをDSMは相手にしているので、現実神経症と外傷性神経症については無視していると批判しています(『PTSDの医療人類学』)。


もっともフロイトもこの二つはあんまり論じていないのですね。私はとりあえずこの言葉(外傷性神経症)を使う。時には外傷症候群とか外傷性障害とか、こういう形でとらえていきたいと思っています。(中井久夫「外傷神経症の発生とその治療の試み」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性によって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。


目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないうことがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)




・戦争神経症は外傷神経症でもあり、また、現実神経症という、フロイトの概念でありながらフロイト自身ほとんど発展させなかった、彼によれば第三類の、神経症性障害

現実神経症と外傷性神経症について、…フロイトもこの二つはあんまり論じていないのですね。

現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。


とあるように、中井久夫は現実神経症と外傷神経症をほぼ等置している。



フロイトにおいて現実神経症(現勢神経症)は、例えば次のような形で現れる。


現勢神経症は精神神経症に、必要不可欠な「身体側からの反応」を提供する。dass die beiden Aktualneurosen…das somatische Entgegenkommen für die Psychoneurosen leisten


現勢神経症は刺激性の素材を提供するのである。そしてその素材は、心的に選択された心的外被を与えられる。従って一般的に言えば、精神神経症の症状の核ーー真珠の核にある砂粒ーーは身体-性的な発露から成り立っている。das Erregungsmaterial liefern, welches dann psj'chisch ausgewählt und umkleidet wird, so dass, allgemein gesprochen, der Kern des psychoneurotischen Symptoms ― das Sandkorn im Zentrum der Perle ― von einer somatischen Sexualäusserung gebildet wird. 


これは不安神経症とヒステリーの関係においていっそう明瞭である。Dies ist für die Angstneurose und ihr Verhältniss zur Hysterie freilich deutlicher (フロイト『自慰論』Zur Onanie-Diskussion、1912年)


つまりは次のような関係になっている。





不安神経症概念の説明は最初期に次のような形で現れる。


神経衰弱と不安神経症の主要な特徴は興奮の源泉が身体領域にある。他方、ヒステリーと強迫神経症は心的領域にる。Neurasthenie und Hysterie…einen Hauptcharakter, daß die Erregungsquelle,…auf somatischem Gebiete liegt, anstatt wie bei Hysterie und Zwangsneurose auf psychischem.〔・・・〕


不安神経症は、抑圧された表象に由来しておらず、心理学的分析においてはそれ以上には削減不能であり、精神療法では対抗不能である。Angstneurose …stammt er nicht von einer verdrängten Vorstellung her, sondern erweist sich bei psychologischer Analyse als nicht weiter reduzierbar, wie er auch durch Psychotherapie nicht anfechtbar ist. (フロイト『ある特定の症状複合を「不安神経症」として神経衰弱から分離することの妥当性について』1894年)


不安とは後年のフロイトの定義においてトラウマである。


不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


不安神経症に代表される外傷神経症≒現勢神経症は《精神療法では対抗不能》ゆえに、フロイトは現勢神経症概念自体について「表向きは」はあまり語らなかったように見えるが、現勢神経症とは原抑圧の病いであり、精神神経症は後期抑圧の病いである。


おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す。die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, 〔・・・〕

精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する。daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln,(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


フロイトは、原抑圧については語りまくっているので、現勢神経症=原抑圧の病いという立場を取れば、中井久夫曰くの《あんまり論じていない》というのは、いささかmisleading である。


例えば、フロイトが1917年に「トラウマへの固着」と題された講義で、次のように言うとき、現勢神経症のことを言っていると見なしうる。



外傷神経症は、外傷的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt.]〔・・・〕


神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる[Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)



固着、トラウマとあるが「原抑圧」に関する用語である。



抑圧の第一段階ーー原抑圧された欲動ーーは、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, (primär verdrängten Triebe) dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden  »Verdrängung«. ](フロイト『症例シュレーバー 』1911年、摘要)

固着に伴い原抑圧がなされ、暗闇に異者が蔓延る[Urverdrängung…Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen](フロイト『抑圧』1915年、摘要)


異者[ fremd]とあるが、これは「異物」とも訳される異者としての身体 [Fremdkörper] のことであり、トラウマを意味する。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用する[das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


結局、原抑圧に関わる現勢神経症とは、トラウマへの固着の病い、異者としての身体(異物)の症状である。



エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。[Triebregung des Es …ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper ](フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)



最晩年のフロイトもこの「異者としての身体」が固着によってエスに置き残された原無意識であることを示している。


異者としての身体は原無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要)

常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓(置き残し)が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. …daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)



トラウマとしての異者としての身体(異物)は、ある意味でフロイトにとって初期から最晩年まで使い続けた核心概念のひとつであり、これが現勢神経症(外傷神経症)に関わるのである。とくに幼児期の外傷的出来事に。


トラウマ的固着[traumatischen Fixierung]…ここで外傷性神経症[traumatische Neurose ]は我々に究極の事例を提供してくれる。だが我々はまた認めなければならない、幼児期の出来事もまたトラウマ的特徴をもっていることを[aber man muß auch den Kindheitserlebnissen den traumatischen Charakter zugestehen ](フロイト『続精神分析入門』29. Vorlesung. Revision der Traumlehre, 1933 年)



例えば「不気味なもの」概念自体、異者である。


不気味なものは、抑圧の過程によって異者化されている[dies Unheimliche ist …das ihm nur durch den Prozeß der Verdrängung entfremdet worden ist.](フロイト『不気味なもの』第2章、1919年、摘要)

異者がいる。異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである[Il est étrange… étrange au sens proprement freudien : unheimlich] (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)


さらにラカンのリアルな対象aとはこの異者である。

異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である[corps étranger,…le (a) dont il s'agit,…absolument étranger ](Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

現実界のなかの異者概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)


フロイトラカン理論において核心概念をひとつだけ上げるとしたら、今の私はこの固着の異者(トラウマ)を上げる。


分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)



中井久夫が「異物」を語るとき、これが現勢神経症(外傷神経症)に関わるとほとんど気づいていたように見える。


一般記憶すなわち命題記憶などは文脈組織体という深い海に浮かぶ船、その中を泳ぐ魚にすぎないかもしれない。ところが、外傷性記憶とは、文脈組織体の中に組み込まれない異物であるから外傷性記憶なのである。幼児型記憶もまたーー。(中井久夫「外傷性記憶とその治療―― 一つの方針」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)



中井久夫はもともとフロイト派ではなく、真にフロイトを深く読み始めたのは、1995年阪神大震災の被災に遭遇してからのように見える。その意味で、現勢神経症と原抑圧(固着)の関係を明瞭には示していないのはやむ得ない。日本における分裂病研究の第一人者だった中井久夫にとってフロイトは「表面的には」あまり役に立たないというのは確かだろう。


とはいえ中井久夫は1995年以降、分裂病(統合失調症)から外傷神経症へ研究対象を移行したとさえ言える。なぜなら統合失調症の底にある外傷を指摘し始めたから。



治療はいつも成功するとは限らない。古い外傷を一見さらにと語る場合には、防衛の弱さを考える必要がある。〔・・・〕統合失調症患者の場合には、原外傷を語ることが治療に繋がるという勇気を私は持たない。


統合失調症患者だけではなく、私たちは、多くの場合に、二次的外傷の治療を行うことでよしとしなければならない。いや、二次的外傷の治療にはもう少し積極的な意義があって、玉突きのように原外傷の治療にもなっている可能性がある。そうでなければ、再演であるはずの二次的外傷が反復を脱して回復することはなかろう。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

統合失調症と外傷との関係は今も悩ましい問題である。そもそもPTSD概念はヴェトナム復員兵症候群の発見から始まり、カーディナーの研究をもとにして作られ、そして統合失調症と診断されていた多くの復員兵が20年以上たってからPTSDと再診断された。後追い的にレイプ後症候群との同一性がとりあげられたにすぎない。われわれは長期間虐待一般の受傷者に対する治療についてはなお手さぐりの状態である。複雑性PTSDの概念が保留になっているのは現状を端的に示す。いちおう2012年に予定されているDSM-Ⅴのためのアジェンダでも、PTSDについての論述は短く、主に文化的相違に触れているにすぎない。


しかし統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されていることが少なくない。それはPTSDの外傷の定義に合わないかもしれないが、小さなひびも、ある時ガラスを大きく割る原因とならないとも限らない。幼児心理において何が重大かはまたまだ探求しなければならない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)



なお、ラカンの現実界の症状であるサントームは、事実上、外傷神経症であり、つまりは現勢神経症である、➡︎「サントームは外傷神経症である