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2022年9月5日月曜日

麗しいデスタンス


今日病院に行ったら、病院が夏だった。蝉の死骸が待合室を埋め尽くしていて、水着姿の娘が中庭の噴水で白目をむいて溺れていた。麗しいデスタンス。私は距離をとってはスキップし、半分死にかけで夏を満喫した。外に出ると通りには人っ子一人おらず、豆腐屋の屋台が火を吹いて燃えていた。もうすぐ夏だ


いや病院の中庭には噴水なんかなかったし、中庭すらなかった。ただハクチ娘が待合室の床に転がっていたし、医者はずっと緑色の咳をしていたし、俺は待たされてうんざりしてただけ。隣に坐っていたやくざ風の男が汗臭かったので雀が一羽空から落っこちた。レントゲンから骸骨が笑った。よお! 夏なのねし、俺は待たされてうんざりしてただけ。隣に坐っていたやくざ風の男が汗臭かったので雀が一羽空から落っこちた。レントゲンから骸骨が笑った。よお! 夏なのね


最近河で洗濯していなかったおじいさんとおばあさんが病院にいた。桃どうですかって俺が聞くと、烈火のごとく怒って自分の首に注射針を突き立ててた。へっ、ご苦労なこった、いいじゃない、スイカ食ってるんじゃないし、おまえは井戸にお尻を落としてきたんだから、さっさとカルテに記入しな! 夏よ。


「夏がもう行っちまう。夏が終ったら、俺たちはどこにいればいいんだ?」とドアーズのジム・モリソンは歌っていた。太陽に別れを惜しんだことなどないのに。「目をかけてやった記憶もないのに、庭に来て坐っているものがある。『夏だな』」と土方巽は言っていた。


…………


2010年に引用してるな、

もう消してしまったブログで


ビックリしたね、

ツイッターはこんな文が読める場なのかと


でたね、12年ぶりに



病院へ行つたら、病院が夏であつた。すぐに帰つてきたン子が気安くついてきてくれたのでありがたかつた。でもきょろきょろしているン子を尻目に何も言わずに私は黙つて座つていた。ほかのことを考えていたからである。案外、ン子は小説「クラッシック」のカズキに似ているのではないかと思案した。蟬の死骸が待合室を埋め尽くしていて、ビキニ姿の娘が中庭の噴水で白目をむいて溺れていた。麗しいデスタンス! つねに遠のいてゆく風景! ン子と距離をとつてはステップし、私は半分死にかけでカズキの夏を満喫した。ちんばもタップ。亡母の口癖である。診察が終つて外に出ると通りには人つ子一人おらず、豆腐屋の屋台が火を吹いて燃えていた。もうすぐ夏だ。 

いや病院の中庭には噴水なんかなかつたし、中庭すらなかつた。ただ卒倒娘が二、三人待合室の床に寝転がつて詰め将棋をしていただけであるし、白衣を着た医者は反射のせいかずつと緑色の宇宙人みたいに見えていたが、咳をゴホゴホしながら鼻血をとめどなく流していた。私は待たされてうんざりしていたのである。隣に坐つていたやくざ風の男がとんでもなく汗臭かつたので、雀が一羽天井から落つこちた。天井の上の空は群青色だつた。レントゲンから骸骨が笑つた。よお! 夏なのね。 


川のそばに住んでいる知り合いのおじいさんとおばあさんが病院に来ていて、桃どうですかと私が聞くと、烈火のごとくじいさんが怒つて自分の首に注射針を突き立てた、へつ、ご苦労なこつた、いいじゃない、じじい、スイカ食つてるんじゃないし、頭蓋骨がまつぷたつに割れたんだろ、お前はすでに井戸に汚い尻を落としてきたんだからさあ、先生、さつさとカルテに記入しな! 夏よ。つ、つ、つ、つ、つ。 


ン子が先に帰ってしまったのでなぜだか私はほつとした。病院の待合室で誰かがテレビのニュースをサスペンスに変えたので、入院患者たちも一緒に水くさいプリンを食べながらそれを静かに見た。洗濯じいさんはうつらうつらしながら、二階のロビーのシャンデリアめがけて落ちていつた。ぶしょん、つて変な鈍い音がした。腕にひどい青痣ができていた。そいつは地図みたいに美しかつたし、星が一個苦水のなかに浮かんでいた。夏なのね。夏の終わりじゃなくて、終わりの夏が来たのよ。


ーー鈴木創士、第150回「映画に撮られた世界の終わり 第十二話 土方家の人々



母  吉田一穂


あゝ麗はしい距離〔デスタンス〕、

つねに遠のいてゆく風景……


悲しみの彼方、母への、

捜り打つ夜半の最弱音〔ピアニツシモ〕。



よお! 夏なのね


ある言葉に一連の記憶が池の藻のようにからまりついていて、ながい時間が過ぎたあと、まったく関係のない書物を読んでいたり、映画を見ていたり、ただ単純に人と話していたりして、その言葉が目にとまったり耳にふれたりした瞬間に、遠い日に会った人たちや、そのころ考えたことなどがどっと心に戻ってくることがある。(須賀敦子『遠い朝の本たち』)


って感じだな

蝉しぐれだよ、まるで


この古井由吉を読んだのは翌年か


・・・この夜、昼の工事の音と夜更けの蒸し返しのために鈍磨の極みに至ったこの耳に、ひょっとしたら、往古の声がようやく聞えてきたのか、と耳を遠くへやると、窓のすぐ外からけたたましく、蜩の声が立った。  


夜半に街灯の明るさに欺れてか、いきなり嗚咽を洩らすように鳴き出し、すぐに間違いに気がついたらしく、ふた声と立てなかった。狂って笑い出したようにも聞こえた。声に異臭を思った。  


異臭は幼年の記憶のようだった。蜩というものを初めて手にした時のことだ。空襲がまだ本格には本土に及ばなかった、おそらく最後の夏のことになるか。蜩は用心深くて滅多に捕まらぬものなので、命が尽きて地に落ちたのを拾ったのだろう。ツクツク法師と似たり寄ったりの大きさで、おなじく透明な翅にくっきり翅脈が浮き出て、胴体の緑と黒の斑紋の涼しさもおなじだったが、地肌が茶から赤味を帯びて、その赤味が子供の眼に妖しいように染みた。箱に仕舞って一夜置いた。そして翌朝取り出して眺めると、赤味はひときわ彩やかさをましたように見えたが、厭な臭いがしてきた。残暑の頃のことで虫もさずがに腐敗を来たしていたのか、子供には美しい色彩そのものの発する異臭と感じられた。すぐに土に埋めて手を洗ったが、異臭は指先にしばらく遺った。  


箪笥に仕舞われた着物から、樟脳のにおいにまじってえ立ち昇ってくる、知らぬ人のにおいにも似ていた。  


山に夕日の薄れるにつれて、勢いのおさまっていくツクツク法師の蝉時雨の間から、蜩が鳴きしきる。その声に耳をやりながら、今日も一日がようやく過ぎた、と子供ながらに老いて痩せこけたような身体を風に吹かれていたのは、敗戦の年の夏の終りだった。東京の家を焼かれ、逃げた先の大垣の父親の実家も焼かれて、美濃の奥の母親の里に身を寄せてから、敗戦の日をはさんで、ひと月ほどになる。空襲が大都市から各地に転じていた間いつまでも続いていた梅雨が、あちこちの中都市も焼き払われて八月に入ると、にわかに明けて猛暑となった。ひさしく重なった栄養不良と、再三にわたった空襲の恐怖に心身を傷めつけられた子供は手足も細り、空腹を覚えながら食欲は衰え、とりわけ敗戦を告げられて戦災の手をひとまず免れてからは、日盛りには居ても寝ても膝が抜けるようにだるくて、 暑さとともに時間は滞り、ただ日の暮れかけて涼風の立つのを待った。蜩の声は子供の帰心をそそった。じつは帰る家もない。秋になったら迎えに行く、と東京に留まった父親は便りを寄越したきりその後音沙汰もない。鉄道も郵便もほとんど途絶えたという噂だった。それでも蜩の声を聞くたびに、子供は日を数えていた。 (古井由吉「蜩の声」2011年)