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2022年11月8日火曜日

航路の支え

 


年ごとに知己が世を去り、身辺とみに蕭条の気が濃くなる。親しんだ本の著者たちも新聞に訃報が載る。いつまでも傍にいてくれるのは古典である。老年は古人に再び出会う季節である。(中井久夫「最晩年の定家」2005年『樹をみつめて』所収)


中井久夫がこう言ったのは、1934年生まれだから、71歳だ。


高橋悠治が「凍った影だけ 鵞鳥はいない(2001)で、

《ちかづくにせよ とおざかるにせよ/航路の支えだった友人たちはもういない》と言ったのは、1938年生まれだから、63歳だな。



         どこから来たかではない
    そこには二度と還れないから
            どこへ行くかでもない
     なにかをめざすことはもうないから
          いまいる場所が問題だ
  それがやっとわかってきた

   二○○一年二月
ヤニス・クセナキスが死んだ
            かすかにのこっていた
    ヨーロッパとの縁も これで切れてしまった
       一九六○年には勅使河原宏のはじめた草月アートセンターがあった
そこには武満徹や秋山邦晴がいた
  クセナキスと
        またケージともそこではじめて会った
      いまは だれも生きていない
    柴田南雄も死んだ
           音楽をつくるときに意識していた人たち
     ちかづくにせよ とおざかるにせよ
    航路の支えだった友人たちはもういない


人はみなそれぞれのあり方で「航路の支え」だった友人や著者があるんだろうけど、ボクの場合、作家に限って言えば、1930年代生まれの人が多いね。航路の支えなどと大仰なことは言わないまでも、何事かが起こったとき、この人はどんな反応をしているのだろう、と探り求めようとした人たちは。

そのなかでは柄谷は一番若いんだよな

柄谷行人

1941

蓮實重彦

1936

中井久夫

1934 - 2022

古井由吉

1937 - 2020

大江健三郎

1935

谷川俊太郎

1931

高橋悠治

1938


こういったメンツだったね、航路の支えは。とおざかった人もいるけどさ。