ま、冗談は抜きにして、僕は読んでない本について何らかのこと言うつもりはないね。読む気はけっしてないし。とはいえ、フロイトラカン派においては自傷行為はエスの審級、自己愛は自我の審級にあり、「自傷的自己愛」は、「エス的自我」となるんだな。たぶん斎藤環は「自傷」という言葉を違った意味で使ってるんだろ、「自分いじめ」とかの意味で。
……………
以下、ラカン派の「通説」をざっと掲げておくよ。
主体の自傷行為は、イマジネールな身体ではなくリビドーの身体による[l'auto mutilation du sujet (…) le corps qui n'est pas le corps imaginaire mais le corps libidinal]( J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 - 16/06/2004)
|
イマジネールな身体は「自我の身体」ーー《イマジネール、自我はその形式のひとつ[la imaginaire …dont le moi est une des formes]》(Lacan, S2, 29 Juin 1955)、リビドーの身体は「エスの身体」だ。ーー《エスのリビドー[die Libido des Es] (フロイト『自我とエス』4章、1923年)
|
エスのリビドーの身体は、リビドー=欲動=享楽ゆえに[参照]、「欲動の身体」「享楽の身体」と言ってもよい。
|
享楽はマゾヒズムであり、マゾヒズムの身体とも言える。
|
自傷行為は自己自身に向けたマゾヒズムである[L'automutilation est un masochisme appliqué sur soi-même] (Éric Laurent発言) (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 7 février 2001)
|
自傷行為のフロイトの名は自己破壊欲動。
|
欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)
|
自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)
|
マゾヒズムなる自己破壊欲動のさらなる別名は死の欲動。
|
マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat.〔・・・〕
我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen,(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
|
この自己破壊欲動としてのマゾヒズムがラカンの現実界の享楽だ。
|
享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。…マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel. …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)
|
死の欲動は現実界である[La pulsion de mort c'est le Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)
|
以上、フロイトラカン的には、自傷行為は死の欲動だよ、
究極的には自殺欲動だね。
|
精神神経症の重症例では、症状として自傷行為が起こることがあり、このような場合、心的葛藤の結果として自殺が起こりうるのが否定し得ないことが知られている。Es ist bekannt, daß bei den schwereren Fällen von Psychoneurose Selbstbeschädigungen gelegentlich als Krankheitssymptome auftreten, und daß der Ausgang des psychischen Konfliktes in Selbstmord bei ihnen niemals auszuschließen ist. (フロイト『日常生活の精神病理学』第7章、1904年)
|
自傷行為を引き起こすリビドーの身体は、マゾヒズムの身体、死の欲動の身体だ。
|
マゾヒズム用語が意味するのは、何よりもまず死の欲動に苛まれる主体である。リビドーはそれ自体、死の欲動である。したがってリビドーの主体は、死の欲動に苦しみ苛まれる。
Le terme de masochisme veut dire que c'est d'abord le sujet qui pâtit de la pulsion de mort. La libido est comme telle pulsion de mort, et le sujet de la libido est donc celui qui en pâtit, qui en souffre. (J.-A. Miller, LES DIVINS DÉTAILS, 3 mai 1989)
|
これはフロイトのエスの欲動、つまり《リビドー的欲動蠢動[daß libidinöse Triebregungen]》(『ナルシシズム入門』第3章)の定義上、そうなる。
エスの力[Macht des Es]は、個々の有機体的生の真の意図を表す。それは生得的欲求の満足に基づいている。己を生きたままにすること、不安の手段により危険から己を保護すること、そのような目的はエスにはない。それは自我の仕事である。〔・・・〕エスの欲求によって引き起こされる緊張の背後にあると想定された強制力 [Kräfte]は、欲動と呼ばれる。欲動は、心的な生の上に課される身体的要求を表す。
Die Macht des Es drückt die eigentliche Lebensabsicht des Einzelwesens aus. Sie besteht darin, seine mitgebrachten Bedürfnisse zu befriedigen. Eine Absicht, sich am Leben zu erhalten und sich durch die Angst vor Gefahren zu schützen, kann dem Es nicht zugeschrieben werden. Dies ist die Aufgabe des Ichs […] Die Kräfte, die wir hinter den Bedürfnisspannungen des Es annehmen, heissen wir Triebe. Sie repräsentieren die körperlichen Anforderungen an das Seelenleben. (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)
|
|
|