しかしどうして黙ってんだろうな、不思議でならないよ。この三年間の出来事について。コロナワクチンと宇露戦争について。一般大衆はしょうがないとしても、文学者や批評家、哲学者、あるいはいわゆる知識人たちだ。ムッツリしてるヤツが多すぎるよ。こんな嘘だらけの世界にどうして沈黙してられるんだろ? それとも晩年の芥川のようにもともと悟り切っているんだろうか。 |
そのうちに又あらゆるものの譃であることを感じ出した。政治、実業、芸術、科学、――いずれも皆こう云う僕にはこの恐しい人生を隠した雑色のエナメルに外ならなかった。(芥川龍之介『歯車』昭和2年3月23日-4月7日) |
僕もいくらかはフクシマで悟ったことはあったにしろ、2020年代は世界的フクシマだからな
3・11以後、何かが違う。何かが起こるかもしれないという感覚がある。日本の自然は恐ろしい顔をむきだした。原子炉の状況もチェルノブイリまでは行くまいと思っていたが、どうも違うらしい。日替わりで情報が時には根本から変わり、何が何だかわからなくなることがしばしばあった。〔・・・〕 私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。 (中井久夫『清陰星雨』「信頼の基盤が揺らぐ」神戸新聞 2012年3月24日)l |
鈴木健があの出来事の5日後にこうツイートしてて、今でもとても印象深い言葉だけどさ。 |
鈴木健@kensuzuki 要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人~数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。(2011年3月16日) |
ーーま、専門家とはもともと擬似専門家さ、そう思うようにはなったね、あれ以降にはとくに。
しかし西側世界の政治家や官僚、主流メディア、あるいはそこで発信する医学者やら国際政治学者やらへの「信頼の基盤が揺らぐ」どころじゃなくなってその彼岸に突入したのがこの2020年代だよ。で、沈黙すべきなんだろうか、「考えきれない重し」として?