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2023年10月14日土曜日

自身の物腰と背つき、それに顔つきまでがおのずと変る瞬間

 


『東京物語考』の次の箇所は、学生時代に覚えた感覚を実にピッタリと言い当てててくれたという心持ちがしたね、とくに最初に読んだ時。いま読み返してもとっても懐かしい。新幹線のなかで《自身の物腰と背つき、それに顔つきまでがおのずと変る》瞬間の感じが40年以上たったこの今も蘇ってくる、浜名湖を過ぎたあたりだった。


東京二世の私には体験のない事だが、遠方に郷里というものをもつ知人たちの帰省話は学生の頃からいろいろと聞いて、そんなものかと心に残ったものもすくなくない。 列車が土地の圏内にかかる際に独特な心理があるものらしい。自身の物腰と背つき、それに顔つきまでがおのずと変る、だいぶ老けた心地がする、と或る人は話した。頭がなんだか重たくなって、東京で考えていたような物事が考えられなくなる、と苦笑していた人もあった。いまどき、ここもう十何年というもの、帰省のたびに土地の暮しは変貌していて、或る意味では東京よりも変り方が激しいぐらいのもので、新製品などは郷里で初めてつくづく拝ませてもらうことが多い、そんな御時勢であるのに、と言う。

また郷里からの戻り道では、列車が土地の境あたりを抜けたそのとたんに、 帰省中にあれこれあった悶着が、まさか消えるわけではないけれど、先々のために反芻しておこうとすると、あるはずの粘りがなくてさらさらと流れ落ちる。 さて東京に着けばさっそく、そちらはそちらで中断されていた難事が降りかぶさってくるはずだが、そのほうもさしあり、妙にに車中に浮いている。物が考えられなくて、やがて眠ってしまう。だいぶして目をさますと、東京者の顔に戻っているそうだ。

都市圏に入って来ると列車の窓のすぐ外を国電が並んで走ったりするだろう、あれを見るといっとき、存在がどんなに楽になるか、都会育ちにはわかるまい、とさる友人が言った。その人は長男だった。

流出はさまざまある中で、こういうのはどちらかと言えば、《高等教育》の筋に依って流出したほうの口の、特徴あるいは特症のひとつなのではないか、と私は勝手に睨んだ。(古井由吉『東京物語考』「楽しき独学」1984年)


《都市圏に入って来ると列車の窓のすぐ外を国電が並んで走ったりするだろう、あれを見るといっとき、存在がどんなに楽になるか》ってのも実にそうだったよ。《帰省中にあれこれあった悶着》の悶着というほどのものではないにしろ、ある種の鬱陶しさからスッと抜けられたという感じ。上の文は、友人からの聞き書きのように一見見えるが、語り口あるいは筆致の巧みさがとってもあるんだろうよ。


『東京物語考』は古井由吉の最初のエッセイ集だが、もともとは《昭和五十七(一九八二)年七月から翌年八月にかけて十四回にわたり、岩波書店の小冊子「図書」に連載された随筆》で、德田秋聲、正宗白鳥、葛西善藏、宇野浩二、嘉村礒多、永井荷風、谷崎潤一郎の作品をめぐっている。


「あとがき」には、《どうやらこの仕事のスタートの時から、私はこの両大家をアンカーとして頼みにしていたようだった。戦災中および戦後を映す鏡として、荷風の「罹災日録」と谷崎の「瘋癲老人日記」と、そしてまた荷風の短篇小説「買出し」が、早くから私の念頭にあった》と。


おそらく、老婆の遺体を後に捨てて、死物狂いに松林の丘陵を越えた、境を越して気分の一変した買出しの女の姿が、私の随筆を発端から引っ張っていたと思われる。今の世にある者にとって、こちらへ向かって来る姿であるはずなのに、なぜか後姿ばかりが目に染みてならない。(『東京物語考』「あとかぎ」) 


今回読み返してみて、なんだか自身の後姿が目に染みるよ。あるいは中也の《ああ おまえはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云う》気分になっちまったな。


古井由吉の他のエッセイは断片しか知らないが、『東京物語考』はボクのお気に入りだね。


評論に熱狂するというような妙なはやりが一時ありましたよね。だけどいわゆる随筆やエッセイに人が熱意を抱く基盤はあるんじゃないかなあ。そう思ってますけど。(古井由吉・松浦寿輝対談『色と空のあわいで』2007年)

最近考えてるのは、随想と小説は決定的に違うものかどうかなんです。随想のように書いたものが小説になることはありえないか。モンテーニュの随想を読んでも、どこか小説めいたところがあるし、そういう総合的な小説もありうるのかなと考えもする。…もちろん、随想だといっても、くつろいでは書けませんが。〔・・・〕

自分の作品を三つ選べと言われたら、ひょっとして、随想しか選ばないんじゃないかと思います。読み返すと、随想のほうがスケールが大きい小説に読める。(古井由吉・大江健三郎対談『文学の淵を渡る』2015年)  


ボクはもともと小説よりもエッセイ派なんだろうな、どちらもそれほど多く読んでいるわけではないけど。


漱石は小説家か随筆家か。…

私事になるが、十年ばかり前に入院の運びになり、病中読書として数冊のなか、漱石の物を一作加わえようとして、修善寺の大患の記の「思ひ出す事など」と晩年の「硝子戸の中」と、そのどちらかにするかしばらく迷った末に、「硝子戸」のほうを鞄の中に入れた。


病院へ随筆を持ち込んだと聞けば、漱石の作品では随筆のほうを小説よりも好む、と人は取るだろう。たしかに、読み返す頻度からすれば、私は漱石の、随筆小品を好む。幾度読み返しても、どの年齢ででも、厭きるということがない。

しかし読後に残るものは毎度、「これは、作家だ」という感慨である。小説の結構を取らぬ随筆にむしろ作家の、きわめて小説的な、筆致の精粋を見るのだ。小説の形が、小説であることを避けて、結晶しているところもある。

だから漱石は何と言っても小説家である。という結論になる。大筋ではそうである。しかしまた漱石の、小説らしい小説と思われている作品を読み返すと、これがまた何と、非小説的 な――と思われる――要素に満ち満ちていることだろう。(古井由吉「漱石随想」『楽天の日々』2017年)