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2023年10月18日水曜日

路地の奥にある杏の庭

 


小説というのは年月がかかります。詩や歌だと若ければ非常に鋭いものを出せるけど、小説はやっぱり歳と共に、というところがあるようです。〔・・・〕

それから、どうにか一作を克服すると、なんだか自分の生命力が亢進されたような、そういう満足もあるんです。

そのとき、書いた作品の出来不出来は問題じゃないんですよ。自分の中の何かを掘り出したなって感じられればいい。作品の出来不出来はその都度その都度あるもので、それを抱え込んでしまったら、小説がよくなるはずがないってことがあります。(古井由吉「新潮」2017 年 6 月号 又吉直樹対談) 



自分の中の何かを掘り出すってのはこの犀星でもあるな、異質の作家を並べるが。


私といふ作家はその全作品を通じて、自分をあばくことで他をもほじくり返し、その生涯のあいだ、わき見もしないで自分をしらべ、もっとも身近かな一人の人間を見つづけてきたのである。(室生犀星「杏っ子」後書、1957年)





で、掘り抜いた先は、究極的には子どものころ住んでいた路地の奥なんじゃないかね、ヒトはみな。



詩の擁護又は何故小説はつまらないか  谷川俊太郎


ーー「詩は何もしないことで忙しいのです」ビリー・コリンズ(小泉純一訳)


初雪の朝のようなメモ帳の白い画面を

MS明朝の足跡で蹴散らしていくのは私じゃない

そんなのは小説のやること

詩しか書けなくてほんとによかった


小説は真剣に悩んでいるらしい

女に買ったばかりの無印のバッグをもたせようか

それとも母の遺品のグッチのバッグをもたせようか

そこから際限のない物語が始まるんだ

こんぐらかった抑圧と愛と憎しみの

やれやれ


詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ

小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る

のも分からないではないけれど


小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で

抜け穴を掘らせようとする

だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、

子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ

柿の木なんぞといっしょに

ごめんね


人間の業を描くのが小説の仕事

人間に野放図な喜びをもたらすのが詩の仕事


小説の歩く道は曲がりくねって世間に通じ

詩がスキップする道は真っ直ぐ地平を越えて行く

どっちも飢えた子どもを腹いっぱいにしてやれないが

少なくとも詩は世界を怨んじゃいない

そよ風の幸せが腑に落ちているから

言葉を失ってもこわくない


小説が魂の出口を探して業を煮やしてる間に

宇宙も古靴も区別しない呆けた声で歌いながら

祖霊に口伝えされた調べに乗って詩は晴れ晴れとワープする

人類が亡びないですむアサッテの方角へ





小説も詩も、肝心なのは生垣に穴をあけることだろうよ、とくに路地の奥の生垣の。そうであったらボクはどっちでもいいね。気分によってときに小説や随想、ときに詩だな。


人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「あむばるわりあ あとがき(詩情)」)




女から

生垣へ

投げられた抛物線は

美しい人間の孤独へ憧れる人間の

生命線である


ーー「キャサリン」『近代の寓話』



ああ すべては流れている 

またすべては流れている 

ああ また生垣の後に 

女の音がする


ーー「野原の夢」『禮記』



生垣にはグミ、サンショウ、マサギ

が渾沌として青黒い光りを出している

この小径は地獄へ行く昔の道

プロセルピナを生垣の割目から見る

偉大なたかまるしりをつき出して

接木をしている


ーー「夏(失われたりんぼくの実)」




古井由吉だってこう言ってるからな


大体、文学は古今東西、本当の意味でのマザコンのものだと思うんですよ。マザコンがないと文学は成り立たない。それは大地母神と言ったり、聖母だとかいうようなものの、女が母に通じていかないと、色気が出ないんですよね。(古井由吉「文芸思潮」2010 初夏)

老婆に膝枕をして寝ていた。膝のまるみに覚えがあった。姿は見えなかった。ここと交わって、ここから産まれたか、と軒のあたりから声が降りた。若い頃なら、忿怒だろうな、と覚めて思った。(古井由吉『辻』「白い軒」2006年)



自分をほじくり返したら、究極的には、膝のまるみの奥の女の庭に至るのさ、



野ばらと人間の結婚 

この生垣をのぞく

女の庭


ーー西脇順三郎「アタランタのカリドン」



うすねむきひるのゆめ遠く

杏なる庭のあなたに

なにびとのわれを愛でむとするや

なにびとかわが母なりや

あはれいまひとたび逢はしてよ


ーー室生犀星「杏なる庭」



われわれは何時も面白半分に物語を書いてゐるのではない。殊に私自身は何時も生母にあくがれを持ち、機会を捉へては生母を知らうとし、その人を物語ることをわすれないでゐるからだ。われわれは誰をどのやうに書いても、その誰かに何時も会ひ、その人と話をしてゐる必要があつたからだ。誰の誰でもない場合もあるが、つねにわれわれの生きてゐる謝意は勿論、名もない人に名といのちを与へて今一度生きることを仕事の上でも何時もつなかつて誓つてゐる者である。(室生犀星『かげろふの日記遺文』「あとがき」1959年)



あくがれる母ってのはホントは母胎のことで、ウンザリさせられることも

ある現物の母じゃないことに注意しないとな、あれは仮象に過ぎないよ、ーー《心理的な意味での母という対象[Mutterobjekt]は、子供の生物的な胎内状況[ biologische Fötalsituation]の代理になっている》(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)、《人には、出生とともに、放棄された子宮内生活 [aufgegebenen Intrauterinleben]へ戻ろうとする欲動、母胎回帰[Rückkehr in den Mutterleib]がある》 (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)


ーーこの母胎こそ路地の奥にある杏の庭だよ、死ぬまで届かないエロスの対象さ。


われわれの終生たづね廻つてゐるただ一人のために、人間はいかに多くの詩と小説をむだ書きにしたことだらう、たとへば私なぞも、あがいてつひに何もたづねられなくて、多くの書物にもならない詩と小説のむだ書きを、生涯をこめて書きちらしてゐた、それは食ふためばかりではない、何とか自分にも他人にもすくひになるやうな一人がほしかつたのである。これは馬鹿の戯言であらうか、人間は死ぬまで愛情に飢ゑてある動物ではなかつたか(室生犀星『随筆 女ひと』1955年)



芥川龍之介はダヴィンチから学んで若い頃からわかってたよ、


我等の故郷に歸らんとする、我等の往時の状態に還らんとする、希望と欲望とを見よ。如何にそれが、光に於ける蛾に似てゐるか。絶えざる憧憬を以て、常に、新なる春と新なる夏と、新なる月と新なる年とを、悦び望み、その憧憬する物の餘りに遲く來るのを歎ずる者は、實は彼自身己の滅亡を憧憬しつつあると云ふ事も、認めずにしまふ。しかし、この憧憬こそは、五元の精髓であり精神である。それは肉體の生活の中に幽閉せられながら、しかも猶、その源に歸る事を望んでやまない。自分は、諸君にかう云ふ事を知つて貰ひたいと思ふ。この同じ憧憬が、自然の中に生來存してゐる精髓だと云ふ事を。さうして、人間は世界の一タイプだと云ふ事を。(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』芥川龍之介訳(抄譯)大正3年頃)

Or vedi la speranza e 'l desiderio del ripatriarsi o ritornare nel primo chaos, fa a similitudine della farfalla a lume, dell'uomo che con continui desideri sempre con festa aspetta la nuova primavera, sempre la nuova state, sempre e' nuovi mesi, e' nuovi anni, parendogli che le desiderate cose venendo sieno troppe tarde, e non s'avede che desidera la sua disfazione; ma questo desiderio ène in quella quintessenza spirito degli elementi, che trovandosi rinchiusa pro anima dello umano corpo desidera sempre ritornare al suo mandatario. E vo' che s'apichi questo medesimo desiderio en quella quintaessenza compagnia della natura, e l'uomo è modello dello mondo.(Codice Leonardo da Vinci)


上の文を訳した大正3年(1914年)頃ってのは、芥川は1892年だから、22歳頃だな。で、遺稿にも同じ蛾の比喩を使っている。


クリストは一代の予言者になつた。同時に又彼自身の中の予言者は、――或は彼を生んだ聖霊はおのづから彼を飜弄し出した。我々は蝋燭の火に焼かれる蛾の中にも彼を感じるであらう。蛾は唯蛾の一匹に生まれた為に蝋燭の火に焼かれるのである。クリストも亦蛾と変ることはない。(芥川龍之介「西方の人」昭和二年七月十日、遺稿)




古井由吉も次のように言ってるんだからシッカリわかってた筈だよ、


一般的に、エロスとは性欲や快楽を指す言葉かもしれません。が、僕の追求するエロスは、そんな甘いものじゃない。人間が生きながらえるための根源的な欲求のことです。〔・・・〕

歳をとりますとね、エロスは深まります。死が近くにあるわけですから。子供の頃、よく不思議な夢の話を聞いた。暗いトンネルの出口の向こうに、お花畑が広がっている。人が生死の境にいる時、そういう夢を見る、と。( 古井由吉「サライ」2011年3月号)



ラカンが《死は愛である[la mort, c'est l'amour.]》(Lacan, L'Étourdit  E475, 1970)と言っているのはこの意味だ。


「暗いトンネルの出口の向こう」ってのはもちろん谷川の「子どものころ住んでいた路地の奥」だよ。



フロイト自身、ひょっとしてシェイクスピアから学んだんじゃないかね、


ここ(シェイクスピア『リア王』)に描かれている三人の女たちは、生む女、パートナー、破壊する女 [Die Gebärerin, die Genossin und die Verderberin]である。それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係である。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。

すなわち、母それ自身と、男が母の像を標準として選ぶ恋人と、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地[Die Mutter selbst, die Geliebte, die er nach deren Ebenbild gewählt, und zuletzt die Mutter Erde]である。


そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神[die dritte der Schicksalsfrauen, die schweigsame Todesgöttin]のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』1913年)




蚊居肢子は母なる大地いじりしてんだ、つまり杏の庭いじりをね。とくに還暦すぎてから比較的熱心に。




おれ地面掘るよ

土の匂いだよ

水もじゅくじゅく湧いてくるよ

おれに土かけてくれよお

草も葉っぱも虫もいっしょくたによお

でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ

笑っちゃうよ

おれ死にてえのかなあ


ーー谷川俊太郎「なんでもおまんこ」