焼跡とひと口に言われるが、たとえば昭和二十年三月十日の江東深川大空襲の跡は、すくなくともその直後においては、焼跡と呼ぶべきでない。あれは地獄であった。同様にして広島長崎の原爆の跡も、すぐには焼跡とは呼ばない。 初期の空襲に家や地域を焼きはらわれた人たちもやはり、その跡に立って、いわゆる焼跡の感情はいだけなかったかと思われる。もっとまがまがしい、悪夢の光景だったはずだ。(古井由吉「太陽」1989 年 7 月号) |
いまだにね、消防車のサイレンを聞くと、ドキッとして不吉な気持ちになるの。30 歳を過ぎる頃まで、敵機襲来で東京中が火の海になる夢を見てはうなされた。あの光景は、僕の中に深く深く刻み込まれていますから、どうしようもない。ごく最近のことですよ、戦争体験を小説に書けるようになったのは。( 古井由吉「サライ」2011 年 3 月号) |
恐怖が実相であり、平穏は有難い仮象にすぎない。何も変わりはしない。〔・・・〕 この今現在は幾度でも繰り返す、そっくりそのままめぐってくる……過去の今も同様に反復される。〔・・・〕一身かろうじてのがれた被災者を心の奥底で苦しめるものは、前後を両断したあの瞬間の今の、過ぎ去ろうとして過ぎ去らない、いまにもまためぐって来かかる、その「永劫」ではないのか。(古井由吉「永劫回帰」『新潮』2012 年 4 月号) |
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これが人間だ、何も信じ難くはない。