このブログを検索

2024年1月3日水曜日

若い頃は少しはマトモだった研究者が准教授や教授になるとなぜ劣化するんだろ

 

ははあ、そうか。教授や准教授は忙しくて研究活動している暇がないんだな。


私はフロイトラカンにいささか首を突っ込んだので、その領野について言わせてもらうが、若い頃は少しはマトモなことを言っていた研究者が准教授や教授になるとひどく劣化するんだな。アレはなぜなんだろとしばしば感じるんだがね。この忙しさのせいもあるんだろうな。

さらに准教授あたりは別の相もあって劣化するのかもしれないが。

須賀敦子=サンテグジュペリ曰くの教授の席が空かないかきょろきょろきょろしているとかーー、

建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者である。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者である。celui-là qui s'assure d'un poste de sacristain ou de chaisière dans la cathédrale bâtie, est déjà vaincu. Mais quiconque porte dans le cœur une cathédrale à bâtir, est déjà vainqueur. (サン=テグジュペリ『戦う操縦士』XXIV、1942年)


ーー《自分が、いまも大聖堂を建てつづけているか、それとも中にちゃっかり坐りこんでいるか、いや、もっとひどいかも知れない。座ることに気をとられるあまり、席が空かないかきょろきょろしているのではないか》(須賀敦子『遠い朝の本たち』)


あるいはもっと一般的に言えば、中井久夫曰くの権力欲のせいとか。

人間には権力欲と知識欲とがある。どちらも飽くことをしらない点では似ている。権力欲はサル、いやそれ以前からであろう。知識欲は人間で発達した。しかし、古いだけに権力欲のほうが強い。権力欲が知識欲を犯し、道具にしているのが社会の現状でもある。そうである限り、大学も知の場ではない。教育だけでなく、研究も、今や外国の評価機関による論文評価をもとにした数字が教授選考の時に真っ先に問題となる。 企業と同じく、外国人に採点していただいているのである。しかし、これは権力の手段としての研究である。 そろいう世界になじまない知的少数者のために私は、あなたがたのほうがまともなのだというメッセージを書きたい。また親にも識者にも考えていただき、せめてそういう子をそっと見守ってほしい。(中井久夫「君たちに伝えたいこと」2000年、朝日新聞)


うっかりすると知識欲は権力欲の手段になりさがってしまう。権力欲はサルやその他の動物にも立派にある。知識欲は動物にはないとはいわないけれど、人間が人間であるもとはこちらだろう。ただ、新しいだけ知識はひ弱く、権力欲は古いだけしぶとい。基本的な三大欲望という睡眠欲、食欲、性欲だって、権力欲の手段になりさがることが少なくない。


そうなると何がどう変わるか。三大欲望は満たされるとおのずとそれ以上求めなくなり、おだやかな満ち足りた感じに変わる。ところが権力欲だけは満たされれば満たされるほど渇く。そしてその手段になった他の欲望は楽しさ、満足感がみごとに消え失せる。


仙人になれというのではない。けれども、知的好奇心は、勉強や学問が権力欲の手段となると同時に見事に消え失せる。知識をふやそうとしても、楽しさも満足感もないのだから、炎天下のアスファルトの道を歩くように辛いだけになって心身の健康をこわしかねない。知的好奇心だけは「よい学校」に入る手段にしてしまわないことだ。でないと、かりに「よい学校」に入っても面白くもなんともない。教授になっても多分そうだろう。(中井久夫「秘密結社員みたいに、こっそり」『二十一世紀に希望を持つための読書案内』(筑摩書房、2000年12月)への寄稿)


なあ、そこの◯◯◯◯◯のキミ! 権力欲捨てて知的少数者にならなくちゃダメだよ、キミの劣化ぶりはあまりにも歴然としてるぜ。