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2024年2月21日水曜日

不思議な出来事

 

最近、投稿済記事が未投稿に戻ったり、未投稿記事が投稿されたりということが何度か起こるのだが、なぜだろうね。昨日もそうなんだ、「貨幣は言語だよ、で言語はフェティッシュだ」の未投稿記事がいつの間にか投稿されている。逆に、遠くは「ボク珍は「浅はかな若造御用学者」では決してありません!」というさる国際政治学者への罵倒記事(2022/9/23)が自然に未投稿に戻っていたのだが、これが私が気づいた範囲で最初の出来事だ。その後もスコットリッターのウクライナ信者罵倒記事の翻訳が未投稿になっていたことなどがある。誰かに操作されているのかね。

ま、このブログも長く続けたからな。こういったことがこれからも続いたら、どこか別の場処に移行するかも。もう9年にもなるよ。


ときに海外からーーとくにフランスとアメリカからーー異様な数の閲覧が入ることがあるんだがこれも気味が悪いしね。


私は学者でもなく死に思いを馳せる齢でもまだなく大きな病いを抱えているわけでもないが、前期高齢者の境界を2年過ぎたことだしな、そろそろ「死への移行」の準備をすべき折かもね、


その老学者はまわりの騒がしい若者たちを眺めていたが、突然、このホールのなかで自由の特権をもっているのは自分だけだ、自分は老人なのだから、と思った。老人になってはじめて人は、群集の、世間の、将来の意見を気にせずともすむ。近づいてくる死だけが彼の仲間であり、死には目を耳もないのだ。死のご機嫌をうかがう必要もない。自分の好きなことをし、いえばいいのだ。(クンデラ『生は彼方に』)