このブログを検索

2024年6月17日月曜日

引き返せない地点まで辿り着いた列車

 

◾️プーチン発言 於ロシア外務省指導部との会談、2024年6月14日 ソース

西側諸国の身勝手さと傲慢さが、現在の極めて危険な状態を招いた。  われわれは許容できないほど引き返せない地点まで近づいてしまった。

The selfishness and arrogance of Western states have led to the current extremely dangerous state of affairs.  We have come unacceptably close to the point of no return.  

эгоизм и высокомерие западных государств привели к нынешнему крайне опасному состоянию дел. Мы подошли недопустимо близко к точке невозврата. 

最大の核兵器保有国であるロシアに戦略的敗北を強いるという呼びかけは、西側諸国の政治家たちの極端な冒険主義を物語っている。彼らは自らが作り出す脅威の大きさを理解していないか、あるいは単に自らの免責と排他性を信じることに夢中になっているかのどちらかだ。このどちらも悲劇を招きかねない。

Calls to inflict a strategic defeat on Russia, which has the largest arsenal of nuclear weapons, demonstrate the extreme adventurism of Western politicians.  They either do not understand the scale of the threat that they themselves create, or are simply obsessed with the belief in their own impunity and in their own exclusivity.  Both of these can result in tragedy. 

Призывы нанести стратегическое поражение России, обладающей крупнейшими арсеналами ядерного оружия, демонстрируют запредельный авантюризм западных политиков. Они либо не понимают масштабы угрозы, которую сами порождают, либо попросту одержимы верой в собственную безнаказанность и в собственную исключительность. И то, и другое может обернуться трагедией.


▶︎Putin's Full Speech at Foreign Ministry



◾️セルビア大統領アレクサンデル・ヴチッチ発言、2024年6月8日 ソース

Serbian President Aleksandar Vučić in an interview with Roger Köppel for Die Weltwoche, June 8, 2024.

私たちは大惨事に向かっており、列車はすでに駅を出発しもはや止めることはできないようだ。 西側諸国はもう誰も平和について語らない。 西側は、ロシアに勝利し、ロシアを排除できると考えている。 西側は間違っていると思う。 両陣営とも、自分たちの存亡がかかっていると考えているので、戦争以外の解決策を見つけることはできないだろう。 ヨーロッパでは、指導者たちは大ヒーローのように振る舞っているが、彼らは正直ではなく、戦争になれば大きな代償を払うことになることを国民に伝えていない。

We are heading for a major catastrophe and it seems that the train has already left the station and can no longer be stopped. No one in the West is talking about peace anymore - only more war. The West thinks it can win and take out Russia. I think the West is wrong. Both sides now believe it is existential for them, so I don't think they will find a solution other than war and everything, everything is at stake. In Europe, the leaders act as the big heroes, but they are not honest and do not tell their citizens that they will all pay a big price if it comes to war.



どうだろうね、日本の皆さんもそろそろ準備しといたほうがいいんじゃないかね、買い溜めとかさ。貿易止まる可能性は大いにありだからな。


と読んで思い出したが、日経の魔笛氏のコラム記事の表現は使えるね、今の西側指導者を描写するにも。



◼️金融政策、果断に出口戦略を

日本経済新聞「大機小機」2021年2月25日

〔・・・〕

政府も日銀も投資会社もなぜ危機を直視せず、これほど大胆で無謀になれるのか。理由は失うものが大き過ぎるからであろう。人は小さな間違いなら簡単に直せるが、間違いが深刻で責任が大きいほど、それを認めまいと言い訳を探し、固執する


経済学には時間選好という概念がある。人々が将来と比べて今をどのくらい重視するかという指標だ。最近の行動経済学の研究では、時間選好は豊かな者ほど低く、貧しい者ほど高い。つまり、現状で余裕がある人ほど先を考え、追い詰められている人ほど考えない、ということだ。


実際、失敗が深刻なほど今を逃れることしか考えなくなるのは人間の性であり、権力者も同様だ。個人なら失敗が顕在化しても被害は個人にとどまるが、権力者なら被害を受けるのは一般庶民だ。人間の性だとのんびり構えてはいられない。


すぐ対処してもらうために過度な責任追及を控え、心機一転して出口戦略を練ってもらう必要があろう。それが無理なら、新たな人に交代してもらうしかない。

(魔笛)




あるいはへーゲリアンのジャン=ピエール・デュピュイ曰くの《終わりに最も近づいている瞬間にこそ、終わりから最も遠く離れていると信じ込んでしまう》とかさ。


数多くのカタストロフィーが示している特性とは、次のようなものです。すなわち、私たちはカタストロフィーの勃発が避けられないと分かっているのですが、それが起こる日付や時刻は分からないのです。私たちに残されている時間はまったくの未知数です。このことの典型的な事例はもちろん、私たちのうちの誰にとっても、自分自身の死です。けれども、人類の未来を左右する甚大なカタストロフィーもまた、それと同じ時間的構造を備えているのです。私たちには、そうした甚大なカタストロフィーが起ころうとしていることが分かっていますが、それがいつなのかは分かりません。おそらくはそのために、私たちはそうしたカタストロフィーを意識の外へと追いやってしまうのです。もし自分の死ぬ日付を知っているなら、私はごく単純に、生きていけなくなってしまうでしょう。

これらのケースで時間が取っている逆説的な形態は、次のように描き出すことができます。すなわち、カタストロフィーの勃発は驚くべき事態ですが、それが驚くべき事態である、という事実そのものは驚くべき事態ではありませんし、そうではないはずなのです。自分が否応なく終わりに向けて進んでいっていることをひとは知っていますが、終わりというものが来ていない以上、終わりはまだ近くない、という希望を持つことはいつでも可能です。終わりが私たちを出し抜けに捕らえるその瞬間までは。


私がこれから取りかかる興味深い事例は、ひとが前へと進んでいけばいくほど、終わりが来るまでに残されている時間が増えていく、と考えることを正当化する客観的な理由がますます手に入っていくような事例です。まるで、ひとが終わりに向かって近づいていく以上のスピードで、終わりのほうが遠ざかっていくかのようです。

自分ではそれと知らずに、終わりに最も近づいている瞬間にこそ、終わりから最も遠く離れていると信じ込んでしまう、完全に客観的な理由をひとは手にしているのです。驚きは全面的なものとなりますが、私が今言ったことはみな、誰もがあらかじめ知っていることなのですから、驚いたということに驚くことはないはずです。時間はこの場合、正反対の二つの方向へと向かっています。一方で、前に進めば進むほど終わりに近づいていくことは分かっています。しかし、終わりが私たちにとって未知のものである以上、その終わりを不動のものとして捉えることは本当に可能でしょうか? 私が考える事例では、ひとが前へと進んでも一向に終わりが見えてこないとき、良い星が私たちのために終わりを遠く離れたところに選んでくれたのだ、と考える客観的な理由がますます手に入るのです。(ジャン=ピエール・デュピュイ「極端な出来事を前にしての合理的選択」PDF)



『ツナミの小形而上学』で日本でも知られるようになったデュピュイは、繰り返してギュンター・アンダースのノアの寓話に触れてるんだけどさ、

世界は滅びるという予言が聞き入れられないことに落胆したノアは、ある日、身内を亡くした喪の姿で街に出る。ノアは古い粗衣をまとい、灰を頭からかぶった。これは親密な者を失った者にしか許されていない行為である。誰が死んだのかと周りの者たちに問われ、「あなたたちだ、その破局は明日起きた」と彼は答える。「明後日には、洪水はすでに起きてしまった出来事になっているだろうがね。洪水がすでに起きてしまったときには、今あるすべてはまったく存在しなかったことになっているだろう。洪水が今あるすべてと、これからあっただろうすべてを流し去ってしまえば、もはや思い出すことすらかなわなくなる。なぜなら、もはや誰もいなくなってしまうだろうからだ。そうなれば、 死者とそれを悼む者の間にも、なんの違いもなくなってしまう。私があなたたちのもとに来たのは、その時間を裏返すため、明日の死者を今日のうちに悼むためだ。明後日になれば、手遅れになってしまうのだからね」。その晩、大工と屋根職人がノアの家を訪れ、「あの話が間違いになるように」箱舟の建造を手伝いたいと申し出る。……(ギュンター・アンダース、ノアの寓話、摘要)


どうだい、箱舟の準備をしといたら?