質問を貰っているが、以前に示した次のボロメオの環は、もっと簡単に置けば、言語・自我・エスだよ。
ラカンの定義において次の通りなんだから。 【象徴界】 |
象徴界は言語である[Le Symbolique, c'est le langage] (Lacan, S25, 10 Janvier 1978) |
【想像界】 |
想像界、自我はその形式のひとつだが、象徴界の機能によって構造化されている[la imaginaire …dont le moi est une des formes… et structuré :… cette fonction symbolique](Lacan, S2, 29 Juin 1955) |
想像界は影と反映の形象に過ぎない[imaginaires, …n'y font figure que d'ombres et de reflets. ](Lacan, E 11, 1956) |
【現実界】 |
フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger](Lacan, S7, 09 Décembre 1959) |
われわれにとって異者としての身体[ un corps qui nous est étranger](Lacan, S23, 11 Mai 1976) |
ーー現実界=モノ=異者(異者としての身体)であり、フロイトにおいてエスの欲動だ。 |
エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。われわれはこのエスの欲動蠢動を、たえず刺激や反応現象を起こしている異者としての身体 [Fremdkörper]の症状と呼んでいる。 Triebregung des Es … ist Existenz außerhalb der Ichorganisation …der Exterritorialität, …betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
だから次のように置ける。
これは比較的よく知られているだろう「自我とエス」図のヴァリエーションとして捉えられる(フロイトは自我と言語を厳密には区別していない)。最近はもう「飽きた」ので示していないが、数年前まではしばしば示したトーラス円図を使えば次の通り。
今、フロイトの示しているように自我とエスの重なり部分を「抑圧」としたが、これは厳密には抑圧の第一段階としての「原抑圧=固着」である。
われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年) |
われわれには原抑圧[Urverdrängung]、つまり、抑圧の第一段階を仮定する根拠がある[Wir haben also Grund, eine Urverdrängung anzunehmen, eine erste Phase der Verdrängung](フロイト『抑圧』1915年) |
抑圧の第一段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている固着である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ](フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー)第3章、1911年) |
とはいえ後年のフロイトはほとんどの場合、この原抑圧を抑圧としか言わなくなる。たとえば「抑圧されたエス」というときの抑圧は実際は原抑圧である。 |
抑圧されたエス[verdrängte Es](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年) |
初期のトラウマの刻印は、前意識に翻訳されないか、抑圧によってすばやくエス状態に戻される[Die Eindrücke der frühen Traumen, von denen wir ausgegangen sind, werden entweder nicht ins Vorbewußte übersetzt oder bald durch die Verdrängung in den Eszustand zurückversetzt.] (フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten、1939年) |
自我分裂の事実は、個人の心的生に現前している二つの異なった態度に関わり、それは互いに対立し独立したものであり、神経症の普遍的特徴である。もっとも一方の態度は自我に属し、もう一方はエスへと抑圧されている。 Die Tatsachen der Ichspaltung, …Dass in Bezug auf ein bestimmtes Verhalten zwei verschiedene Ein-stellungen im Seelenleben der Person bestehen, einander entgegengesetzt und unabhängig von einander, ist ja ein allgemeiner Charakter der Neurosen, nur dass dann die eine dem Ich angehört, die gegensätzliche als verdrängt dem Es. (フロイト『精神分析概説』第8章、1939年) |
基本的にエスへと抑圧されたトラウマが原抑圧=固着であり、ーー《抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma]》(フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)、《抑圧された固着[verdrängten Fixierungen]》 (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年)ーー、自我内での抑圧が後期抑圧である[参照]。
そしてこのトラウマこそ、固着に伴ってエスに置き残される「異者としての身体」である。
トラウマないしはトラウマの記憶は、異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要) |
異者としての身体は本来の無意識としてエスのなかに置き残される[Fremdkörper…bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年、摘要) |
この置き残しの別名が固着の残滓。 |
常に残滓現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. …daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年) |
この固着のエスへの置き残しは、まだエス概念のない時期のフロイトの言い方なら《原初に置き残された欲動[primär zurückgebliebenen Triebe]》(『症例シュレーバー』第3章、1911年)。
以上、先のトーラス円図で「抑圧」と置いた箇所は「固着」である。
つまり、(原)抑圧=固着=同化不能=現実界=トラウマ=異者としての身体(エス)となる。これについては、ラカンは比較的はやい時期に既に指摘している。 |
抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation. ](Lacan, S1, 07 Avril 1954) |
固着は、言説の法に同化不能なものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1, 07 Juillet 1954) |
現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964) |
同化不能な異者としての身体[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年) |
先程、この自我エス固着図は「もう飽きた」と記したけれど、要するに説明がまわりくどくなってめんどくさいんだよ。で、いいかな、これで? というかこれ以上は簡単には示しようがないね。
敢えてもうひとつ付け加えれば、初期フロイトはフリース宛書簡で既にこう言っている。 |
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抑圧は、過度に強い対立表象の構築によってではなく、境界表象 [Grenzvorstellung ]の強化によって起こる[Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung einer Grenzvorstellung ](Freud Brief Fließ, 1. Januar 1896) |
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この境界表象とは、後年のフロイトの思考では「自我とエスの境界」としての欲動の固着[Fixierungen der Triebe](=抑圧の第一段階の原抑圧)であり、欲動自体が境界のポジションにある。 |
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欲動は、心的なものと身体的なものとの境界概念である[der »Trieb« als ein Grenzbegriff zwischen Seelischem und Somatischem](フロイト『欲動および欲動の運命』1915年) |
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この境界表象[Grenzvorstellung]=境界概念[Grenzbegriff]がラカンの境界構造の穴であり、現実界の欲動かつ原抑圧である。 |
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享楽に固有の空胞、穴の配置は、欲動における境界構造と私が呼ぶものにある[configuration de vacuole, de trou propre à la jouissance…à ce que j'appelle dans la pulsion une structure de bord. ](Lacan, S16, 12 Mars 1969) |
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現実界はトラウマの穴をなす[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
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欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel … je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975) |
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975) |
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繰り返せば原抑圧=固着であり、したがって自我エス抑圧図とは、自我エス固着図となる。厳密に言えばこういうことになるのだが、おそらくこれは一般にはいくらか難解かもしれない。 とはいえ、フロイトラカンにおいてはエスよりも自我とエスの境界にある固着がより重要なんだよ。これが「まともな」現代ラカン派の共通認識だね。
ーーラカンが次のように言っているシニフィアンこそ境界表象としての固着のこと、《シニフィアンは享楽の原因である。シニフィアンなしで、身体のこの部分にどうやって接近できよう? [Le signifiant c'est la cause de la jouissance : sans le signifiant, comment même aborder cette partie du corps ? ]》(Lacan, S20, December 19, 1972)。そしてこのシニフィアンが現実界的シニフィアンである、《シニフィアンは、連鎖外にあるとき現実界的なものになる[le signifiant devient réel quand il est hors chaîne]》(Colette Soler, L'inconscient Réinventé, 2009) |
固着が重要だというのは何よりもまずーー完全に表象外にあるエスは臨床分析では把握できないがーー、境界表象としての固着は把握可能だから。
固着概念は、身体的要素と表象的要素の両方を含んでいる[the concept of "fixation" … it contains both a somatic and a representational element](ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年) |
分析経験において、享楽は、何よりもまず、固着を通してやって来る[Dans l'expérience analytique, la jouissance se présente avant tout par le biais de la fixation]. 〔・・・〕われわれはトラウマ化された享楽を扱っているのである[Nous avons affaire à une jouissance traumatisée]( J.-A. MILLER, L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011) |
ーー以上。