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2024年7月26日金曜日

女が獰猛なのは理の当然


タッカー・カールソンは、私が少し前「どえらく不幸な時代」で示したことと殆ど同じ言っているようだな、「女性を愛する者として」。




要するに幸運な時代は終わったんだよ


「戦争が男たちによって行われてきたというのは、これはどえらく大きな幸運ですなあ。もし女たちが戦争をやってたとしたら、残酷さにかけてはじつに首尾一貫していたでしょうから、この地球の上にいかなる人間も残っていなかったでしょうなあ」C'est une chance énorme que les guerres aient été faites par les hommes. Si les femmes avaient fait la guerre, elles auraient été si conséquentes dans leur cruauté qu'il ne resterait aucun être humain sur la planète.(クンデラ『不滅』Milan Kundera, L'Immortalité,1990)




そもそも、女は「融和的で平和」などというイデオロギーが大間違いなのであり、少しでも人生を観察する眼を持っていればそうでないことがすぐわかる。

女はやさしい形をしているが、だからといって中身までやさしいとはかぎらない。軟らかくて力が弱くできているから、生き延びるためにはかえって内側は獰猛にできていることになるのは、理の当然と私は思っている。(吉行淳之介『男と女をめぐる断章』1978年)



女が獰猛なのは男に対してだけではない、むしろ女に対してよりいっそう獰猛なのはすべての女が知っていることの筈だ。

女たちそれ自体について言えば、彼女たちは「モメントとしての女たち」の単なる予備軍である…わかった? だめ? 説明するのは確かに難しい…演出する方がいい…その動きをつかむには、確かに特殊な知覚が必要だ…審美的葉脈…自由の目… 彼女たちは自由を待っている…空港にいるとぼくにはそれがわかる…家族のうちに監禁された、堅くこわばった顔々…あるいは逆に、熱に浮かされたような目…彼女たちのせいで、ぼくたちは生のうちにある、つまり死の支配下におかれている。にもかかわらず、彼女たちなしでは、出口を見つけることは不可能だ。反男性の大キャンペーンってことなら、彼女たちは一丸となる。だが、それがひとり存在するやいなや…全員が彼女に敵対する…ひとりの女に対して女たちほど度し難い敵はいない…だがその女でさえ、次には列に戻っている…ひとりの女を妨害するために…今度は彼女の番だ…何と彼女たちは互いに監視し合っていることか! 互いにねたみ合って! 互いに探りを入れ合って! まんいち彼女たちのうちのひとりが、そこでいきなり予告もなしに女になるという気まぐれを抱いたりするような場合には…つまり? 際限のない無償性の、秘密の消点の、戻ることのなりこだま…悪魔のお通り! 地獄絵図だ! (ソレルス『女たち』鈴木創士訳)



ツイッター眺めていても、男たちにはまったく及びもつかない女たちの才能が溢れ返っているよ、言葉と眼差しによる拷問が。

人はよく頽廃の時代はより寛容であり、より信心ぶかく強健だった古い時代に対比すれば今日では残酷性が非常に少なくなっている、と口真似式に言いたがる。しかし、言葉と眼差しによる危害や拷問は、頽廃の時代において最高度に練り上げられる。

nur so viel gebe ich zu, dass jetzt die Grausamkeit sich verfeinert, und dass ihre älteren Formen von nun an wider den Geschmack gehen; aber die Verwundung und Folterung durch Wort und Blick erreicht in Zeiten der Corruption ihre höchste Ausbildung](ニーチェ『悦ばしき知』23番、1882年)



私も思春期に酷い拷問を受けたことがあるがね、

愛は拷問または外科手術にとても似ている[l'amour ressemblait fort à une torture ou à une opération chirurgicale]ということを私の覚書のなかに既に私は書いたと思う。だがこの考えは、最も過酷な形で展開しうる。たとえ恋人ふたり同士が非常に夢中になって、相互に求め合う気持ちで一杯だとしても、ふたりのうちの一方が、いつも他方より冷静で夢中になり方が少ないであろう。この比較的醒めている男ないし女が、執刀医あるいは死刑執行人である。もう一方の相手が患者あるいは犠牲者である[ c'est l'opérateur ou le bourreau ; l’autre, c'est le sujet, la victime.](ボードレール「火箭 Fusées」)