前回示したロシアだけでなく中国も国連憲章107条を言い出しているようだな、
国連憲章107条規定、すなわち旧敵国条項とは、
第二次世界大戦の侵略発動国が、再び侵略政策を発動する兆候がある場合、安保理事国が、理事会の許可がなくても直接軍事行動を取る権利がある、というものだ。
岸田文雄の日本軍国主義化の動きはあまりにも明らかだからな、
統合軍司令部とは自衛隊が米軍の傘下に入るということだ。
◾️東京の非核保有国の地位を揺るがす道の歩みに対しモスクワは適切に対応する |
Tokyo on path of eroding its nuclear-free status, Moscow to respond appropriately |
これに先立ち、ロシア外務省は日本の岸田文雄首相の自国再軍備に向けた方針はアジア太平洋地域の安全保障に対する深刻な脅威をはらんでおり、国連憲章、特に第107条に反するものだと述べた。 |
The Russian Foreign Ministry said earlier that Japanese Prime Minister Fumio Kishida’s course toward his country’s remilitarization is fraught with serious threats to Asia-Pacific security and runs counter to the UN Charter, in particular, Article 107. |
国際法に基づけば先制攻撃されてもやむ得ない国に日本はなっちまったんだよ。
文雄チャンは一年前、地元の広島で「法の支配に基づく国際秩序」を宣言しちまったところだしな
◼️広島サミット影の主役・中国が描く国際秩序とは(江藤名保子) 地経学ブリーフィング / 2023/05/22 |
注目すべきキーワードは、「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序(the free and open international order based on the rule of law)」である。 これまで日本を含むG7各国はしばしば「ルールに基づく国際秩序(rules-based international order)」という表現を共通概念としてきたが、4月のG7外相会議からは「法の支配(rule of law)」がキーワードとなってきた。 一見すると技術的な表現の調整のようにみえるが、実は「ルールに基づく国際秩序」という際のルールは誰が決めるのか、既存の国際秩序は先進国に有利なので改変が必要ではないかといったグローバル・サウスの不満をかわす意図がにじむ表現の変更である。 さらに中国政治において「法の支配」の主張は、共産党の一党独裁体制への批判を含意する。中国には法治のあり方を示す、「依法治国(法による治国)」という政治用語があるが、その実態はrule of lawではなく、rule by law(法を用いた統治)だとする解釈が定着している。中国政府は「法の支配」を否定はしないものの、実態として統治者(governor)である共産党政権が法(law)よりも上位に位置するためである。 |
これまた前回示したところだが、ツイッター社交界の大半はイクミナ(1937年)をやってんだよな、岸田文雄の《軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり》をさ。 |
余この頃東京住民の生活を見るに、彼等は其生活について相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり(永井荷風「断腸亭日乗」1937年8月24日) |
日本という国は昔も今もこういうもんなんだろうよ、
国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」初出2005年『樹をみつめて』所収) |
……ある旧高官から非常に面白い比喩をきかされたことがあります。それは今度の戦争というのは‥お祭りの御輿の事故みたいなものだということです。始めはあるグループの人が御輿をワッショイワッショイといって担いで行ったが、ある所まで行くと疲れて御輿をおろしてしまった。ところが途中で放り出してもおけないので、また新たに御輿を担ぐものが出て来た。ところがこれ又、次のところまで来て疲れて下ろした。こういう風に次から次と担ぎ手が変り、とうとう最後に谷底に落ちてしまった、というのです。…結局始めから終りまで一貫して俺がやったという者がどこにも出て来ないことになる。つまり日本のファシズムにはナチのようにそれを担う明確な政治的主体-ファシズム政党-というものがなかった。しかもやったことは国内的にも国際的にもまさにファッショであった。主体が曖昧で行動だけが残っているという奇妙な事態、これが支配層の責任意識の欠如として現われている。(丸山真男「戦争責任について」1956.11) |
……………
ま、一年前の伊藤貫の予言が当たるんだろうよ、
伊藤貫)日本はたぶん運が悪ければ今から4年後、どんなに運が良くても今から10数年後には中国の属国になると思います。 |
伊藤貫の問題は核武装論者ということだがね、そこはどうしても「おみこしの熱狂と無責任の国民集団日本にとって」許容範囲を遥かに超えているから、最近はあまり彼に触れることをしていないが。とはいえそれ以外は多くの優れた洞察を語っている人物だよ。何はともあれ米国の属国より中国の属国のほうがいいだろ、これからは。 |