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2024年7月9日火曜日

民主主義はその種のものとしては最高さ

 

 前回引用した、ニーマ・パルヴィーニ『ポピュリストの妄想』(The Populist Delusion - Neema Parvini 2022)の《民主主義は今も昔も幻想である[democracy is and always has been an illusion]》ーー厳密には「民主主義は錯覚 illusion」と訳すべきかーーでチャーチルの言葉を思い起こしたね、ウィンストン・チャーチルの民主主義についての名高い演説を。

これまでも多くの政治形態が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が申し分ないもの、あるいは全き賢明なものと見せかけることは誰にもできない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除いて。

Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed, it has been said that democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time.

(ウィンストン・チャーチル下院演説 、Winston S Churchill, 11 November 1947)



《民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除いて。》ーーは、民主主義は最悪と言いつつ、今までの政治形態の中では、民主主義は最高だと事実上言ってるんだよな。


次のフロイト文の表現を真似すれば、「民主主義はその種のものとしては最高さ」だよ。



かつて「ジンプリチシムス」(ウィーンの風刺新聞)に載った、女についての皮肉な見解がある。一方の男が、女性の欠点と厄介な性質について不平をこぼす。すると相手はこう答える、《そうは言っても、女はその種のものとしては最高さ》。

…der einst im Simplicissimus über die Frauen vorgebracht wurde. Dort beklagte sich einer der Partner über die Schwächen und Schwierigkeiten des schöneren Geschlechts, worauf der andere bemerkte: »Die Frau ist aber doch das Beste, was wir in der Art haben.«

(フロイト 『素人分析の問題』1927年 後書)



しかしーー冗談抜きでーー、民主主義はひどい欠点と厄介な性質はあるにしろ、ほかにもっとマシな政治形態はたぶんないんじゃないかね。


・・・と記せばシュミットの声が聞こえてくるな



民主主義が独裁への決定的対立物ではまったくないのと同様、独裁は民主主義の決定的な対立物ではまったくない[Diktatur ist ebensowenig der entscheidende Gegensatz zu Demokratie wie Demokratie der zu Diktatur.](カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1926年版)

民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異質な者や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている。Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…]  Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)


厄介だねえ、民主主義は。ホントに女みたいだよ。



自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう![Was weiss Der von Liebe, der nicht gerade verachten musste, was er liebte! ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」1883年)

最後に私は問いを提出する。女自身は、女性の心は深い、あるいは女性の心は正しいと認めたことがかつて一度でもあったのだろうか? そして次のことは本当であろうか、すなわち、全体的に判断した場合、歴史的には、「女なるもの 」は女たち自身によって最も軽蔑されてきたのではないか、男たちによってでは全くなく?

Zuletzt stelle ich die Frage: hat jemals ein Weib selber schon einem Weibskopfe Tiefe, einem Weibsherzen Gerechtigkeit zugestanden? Und ist es nicht wahr, dass, im Grossen gerechnet, "das Weib" bisher vom Weibe selbst am meisten missachtet wurde - und ganz und gar nicht von uns? (ニーチェ『善悪の彼岸』232番、1886年)

生への信頼は消え失せた。生自身が「一つの問題」となったのである。ーーこのことで人は必然的に陰気な者、フクロウ属になってしまうなどとけっして信じないように! 生への愛はいまだ可能である。ーーただ異なった愛なのである・・・それは、われわれに疑いの念をおこさせる「女への愛」 にほかならない・・・

Das Vertrauen zum Leben ist dahin; das Leben selber wurde ein P r o b l e m . ― Möge man ja nicht glauben, dass Einer damit nothwendig zum Düsterling, zur Schleiereule geworden sei! Selbst die Liebe zum Leben ist noch möglich, ― nur liebt man a n d e r s … Es ist die Liebe zu einem Weibe, das uns Zweifel macht…(ニーチェ対ワーグナー「エピローグ」1888年)