2024年9月29日日曜日

ドゥーギンによるプーチンへの苛立ち


さて、どう扱うべきか、次のドゥーギンの見解を?


◾️アレクサンドル・ドゥーギン、2024年9月28日

Message posted by Professor Aleksandr Dugin, Russian philosopher, on his Telegram channel, September 28, 2024.

認めるのは不愉快だが、イスラエルが敵を無慈悲に破壊する過激な決意は、敵の行動だけでなく、キエフ政権との関係における我々の行動とも明らかに対照的だ。


イスラエルは先手を打っており、ハマスに攻撃を挑発したが、レジスタンスには何の成果ももたらさなかったことが明らかになった。


一方、イスラエルは中東で敵対する勢力の指導部を壊滅させ、ガザでパレスチナ人の大規模な大量虐殺を簡単に実行した。


繰り返しになるが、早い方が正しい。より断固として無謀に行動する者が勝つ。


しかし我々は慎重で、常に揺れ動いている。


ちなみに、イランもそうだ。これはどこにも通じない道だ。

ガザは消滅した。


ハマスの指導者は消滅した。


さて、ヒズボラの指導者も消えた。


イランのライシ大統領も消えた。彼のポケベルも消えた。


しかしゼレンスキーは依然としてそこにいる。そしてキエフは何も起こらなかったかのように立っている。


我々は本気でゲームに参加するか、それとも… 2 番目の選択肢については考えたくはない。


現代の戦争では、タイミング、スピード、そしてドロモクラシー(走行体制)がすべてを決定する。


シオニストは迅速に、先手を打って行動する。大胆に。そして勝利する。


それが我々がすべきことだ。

ALEKSANDR DUGIN:


It's unpleasant to admit, but Israel's radical determination in the ruthless destruction of its enemies clearly contrasts not only with the behavior of those enemies but also with our own, in relation to the Kiev regime.


Israel is playing ahead, and it’s now clear that it provoked Hamas into an attack, which brought no fruits to the Resistance at all.


Meanwhile, Israel managed to destroy the leadership of the forces antagonistic to it in the Middle East and easily carry out a large-scale genocide of the Palestinians in Gaza.


Again—whoever is faster is right. Whoever acts more decisively and recklessly wins.


But we are cautious and constantly wavering.


By the way, so does Iran. This is a road to nowhere.


Gaza is gone.


Hamas's leadership is gone.


Now, Hezbollah’s leadership is gone.


And Iran's President Raisi is gone. And so is his pager.


But Zelensky is still there. And Kiev stands as if nothing had happened.


We either enter the game for real, or... The second option is something I’d rather not think about.


In modern wars, timing, speed, and dromocracy decide everything.


The Zionists act swiftly, ahead of the curve. Boldly. And they win.


That's what we should do.



これは何よりもまずプーチン批判だろう、ドゥーギンはプーチンの慎重さに苛立っている筈だ。




プーチンはこの習近平モスクワ訪問における会談以降、世界的指導者として振舞っている。そのせいで悪徳は容易に行使できない。


一つの悪徳を行使しなくては、自国の存亡にかかわるという容易ならぬばあいには、悪徳の評判などかまわずに受けるがよい。(マキャベリ『君主論』)

私は、用意周到であるよりはむしろ果断に進むほうがよいと考えている。なぜなら、運命の神が女神であるから、彼女を征服しようとすれば、うちのめしたり、突きとばしたりすることが必要である。運命は、冷静な行き方をする者より、こんな人たちに従順になるようである。


要するに、運命は女性に似て、若者の友である。つまり、若者は、思慮は深くなく、あらあらしく、きわめて大胆に女を支配するからである。(マキャベリ『君主論』)


用意周到さは、運=ファルトゥナ[fortuna]を逃す。


他者への憐れみは国民全体を傷つけうる。


あらゆる君主にとって、残酷よりは憐れみぶかいと評されることが望ましいことにちがいない。だが、こうした恩情も、やはりへたに用いることのないように心がけねばならない。たとえば、チューザレ・ボルジアは、残酷な人物とみられていた。しかし、この彼の残酷さがロマーニャの秩序を回復し、この地方を統一し、平和と忠誠を守らせる結果となったのである。とすると、よく考えれば、フィレンツェ市民が、冷酷非道の悪名を避けようとして、ついにピストイアの崩壊に腕をこまねいていたのにくらべれば、ボルジアのほうがずっと憐れみぶかかったことが知れる。したがって、君主たる者は、自分の臣民を結束させ、忠誠を守らすためには、残酷だという悪評をすこしも気にかけてはならない。というのは、あまりに憐れみぶかくて、混乱状態をまねき、やがて殺戮や略奪を横行させる君主にくらべれば、残酷な君主は、ごくたまの恩情がある行ないだけで、ずっと憐れみぶかいとみられるからである。また、後者においては、君主がくだす裁決が、ただ一個人を傷つけるだけですむのに対して、前者のばあいは、国民全体を傷つけることになるからである。(マキャベリ『君主論』)


ーー《マキャベリが近代政治学の祖となったのは、道徳を括弧に入れることによって政治を考察したからである。》(柄谷行人『トランスクリティーク ーーカントとマルクスーー』第一部・第3章「Transcritique」2001年)


※参照;柄谷行人=カントの「括弧入れ=無関心」



ドゥーギンには、このマキャベリや次のニーチェの「ルネッサンス式徳」が念頭にあるに違いない。


善とは何か? ――力の感情を、力への意志を、力自身において高めるすべてのもの。

劣悪とは何か? ――弱さから由来するすべてのもの。

幸福とは何か? ――力が生長するということの、抵抗が超克されるということの感情。

満足ではなくて、より以上の力。総じて平和ではなくて、戦い。徳ではなくて、有能性(ルネッサンス式の徳、気概(ヴィルトゥ)、道徳に拘束されない徳)。

Was ist gut? ― Alles, was das Gefühl der Macht, den Willen zur Macht, die Macht selbst im Menschen erhöht. 

Was ist schlecht? ― Alles, was aus der Schwäche stammt. 

Was ist Glück? ― Das Gefühl davon, daß die Macht wächst -- daß ein Widerstand überwunden wird.    

Nicht Zufriedenheit, sondern mehr Macht; nicht Friede überhaupt, sondern Krieg; nicht Tugend, sondern Tüchtigkeit (Tugend im Renaissance-Stile, virtu, moralinfreie Tugend).

(ニーチェ『反キリスト者』1888年)