2024年11月10日日曜日

恥なき21世紀

 

かつては好んで繰り返し引用してきた岩井克人の文がある。


『私は知ってしまった。だから私には責任がある。』


これはルワンダでの大量殺戮の目撃者の発言です。アメリカのニュース番組で耳にして以来、私の頭から離れない言葉です。


ボスニアでの民族浄化作戦よりも、カルガモ親子のお堀端の散歩のほうがテレビで大きく報道される日本です。だが、その住民である私たちでも番組をCNNやBBCに切り替えれば、いやでも「知る」ことになります。テレビだけではありません。インターネットはもちろん、新聞雑誌や書籍を通してさえ、私たちは世界で何が起こっているのかをいやおうなしに「知って」しまうのです。


これが冷戦時代であったなら、遠くの紛争について私たちが「責任」を感じる必要などなかったでしょう。冷戦とはすべての紛争を米ソの代理戦争に還元する装置でした。そこではどちらか一方の当事者に加担せずに、紛争の解決のために力を貸すことは不可能でした。それゆえ世界中すべての人間は、世界市民である以前に、親米か親ソかという役割を演じざるを得なかったのです。


冷戦は終わりました。それは「知る」ことがそのまま世界市民としての「責任」を負う時代になったことを意味するのです。(岩井克人「憲法九条および皇室典範改正試案」全文、1996年『二十一世紀の資本主義論』所収)



いやあ、実に「立派な」岩井克人である、ーー《私は知ってしまった。だから私には責任がある》、あるいは《世界市民としての「責任」を負う時代》ーー、もっとも、きわめて不幸にも、イスラエルのガザジェノサイドにおいて、知ってしまっても我関せず、つまり世界市民などほとんどどこにもいないことが鮮明化されてしまったこの一年であったが。


世界市民社会[eine weltbürgerliche Gesellschaft (cosmopolitismus) ]のようなそれ自身到達され得ない理念は、構成的理念[konstitutives Prinzip](人間のきわめて生き生きとした作用と反作用のまっただ中にある平和の期待)ではなくて,単に統整的理念[regulatives Prinzip]にすぎない。すなわち、それを目指す自然的性癖があるという根拠のある推測がまんざらでもないような,人類の使命としての理念を熱心に追究するたあの統整的理念にすぎないのである。

aber allgemein fortschreitenden Koalition in eine weltbürgerliche Gesellschaft (cosmopolitismus) sich von der Natur bestimmt fühlen: welche an sich unerreichbare Idee aber kein konstitutives Prinzip (der Erwartung eines mitten in. der lebhaftesten Wirkung und Gegenwirkung der Menschen bestehenden Friedens), sondern nur ein regulatives Prinzip ist: ihr als der Bestimmung des Menschengeschlechts nicht ohne gegründete Vermutung einer natürlichen Tendenz zu derselben fleißig nachzugehen.

(カント『実用的見地における人間学』1798年)



この世界市民的な統整的理念は柄谷の言い方なら偽善である。


柄谷行人)夏目漱石が、『三四郎』のなかで、現在の日本人は偽善を嫌うあまりに露悪趣味に向かっている、と言っている。これは今でも当てはまると思う。


むしろ偽善が必要なんです。たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。


浅田彰)善をめざすことをやめた情けない姿をみんなで共有しあって安心する。日本にはそういう露悪趣味的な共同体のつくり方が伝統的にあり、たぶんそれはマス・メディアによって煽られ強力に再構築されていると思います。〔・・・〕


日本人はホンネとタテマエの二重構造だと言うけれども、実際のところは二重ではない。タテマエはすぐ捨てられるんだから、ほとんどホンネ一重構造なんです。逆に、世界的には実は二重構造で偽善的にやっている。それが歴史のなかで言葉をもって行動するということでしょう。(『「歴史の終わり」と世紀末の世界』1994年)



実に、この偽善なるタテマエは、日本だけでなく世界的にもどこかに行ってしまった2024年だった。もはや日本批判をする気にもならない今日この頃である。


もっともフロイトが指摘するように第一次世界大戦でもそれは起こったようだが。


世界市民の道徳的水準の低下にまさるとも劣らず、われわれを驚かせ、狼狽させたことは、彼らがしめしたある別の症状であった。それはつまり、もっとも優秀な頭脳すらもがしめした洞察の欠如であり、頑述さ、徹底的な議論の忌避であり、容易に論駁されうる主張に対する無批判的な追随のことである。実際、これは悲しむべき光景を出現させたのである…

Vielleicht hat uns aber ein anderes Symptom bei unseren Weltmitbürgern nicht weniger überrascht und geschreckt als das so schmerzlich empfundene Herabsinken von ihrer ethischen Höhe. Ich meine die Einsichtslosigkeit, die sich bei den besten Köpfen zeigt, ihre Verstocktheit, Unzugänglichkeit gegen die eindringlichsten Argumente, ihre kritiklose Leichtgläubigkeit für die anfechtbarsten Behauptungen. Dies ergibt freilich ein trauriges Bild…

(フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)



とはいえ最近はことさら酷い。ラカン的言い方をすれば「恥なき21世紀」である。


もはやどんな恥もない[ Il n'y a plus de honte] …下品であればあるほど巧くいくよ[ plus vous serez ignoble mieux ça ira] (Lacan, S17, 17 Juin 1970)

文化は恥の設置に結びついている[la civilisation a partie liée avec l'instauration de la honte.]〔・・・〕ラカンが『精神分析の裏面』(1970年)の最後の講義で述べた「もはや恥はない」という診断。これは次のように翻案できる。私たちは、恥を運ぶものとしての大他者の眼差しの消失の時代にあると[au diagnostic de Lacan qui figure dans cette dernière leçon du Séminaire de L'envers : «Il n'y a plus de honte». Cela se traduit par ceci : nous sommes à l'époque d'une éclipse du regard de l'Autre comme porteur de la honte.](J.-A. MILLER, Note sur la honte, 2003年


ここでの大他者の眼差しは「父の眼差し」、あるいは「父の名の眼差し」を意味する。

父の蒸発 [évaporation du père] (ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)

エディプスの失墜[ déclin de l'Œdipe](Lacan, S18, 16 Juin 1971)


ーーラカンは学園紛争を契機にエディプス的父の名の見せかけ化を言ったのである。


ラカンが、フロイトのエディプスの形式化から抽出した「父の名」自体、見せかけに位置づけられる。Le Nom-du-Père que Lacan avait extrait de sa formalisation de l'Œdipe freudien est lui-même situé comme semblant(ジャン=ルイ・ゴー Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019)


この文脈のなかで、《レイシズム勃興の予言[prophétiser la montée du racisme]》(Lacan, AE534, 1973)もした。



大他者は存在しない。それを私はS(Ⱥ)と書く[l'Autre n'existe pas, ce que j'ai écrit comme ça : S(Ⱥ).](Lacan, S24, 08 Mars 1977)

ラカンは父の名を終焉させた。それは、S(Ⱥ)というマテームの下でなされた。斜線引かれた大他者のシニフィアンである[le Nom-du-Père, c'est pour y mettre fin. …sous les espèces du mathème qu'on lit grand S de A barré,  signifiant de l'Autre barré, ]〔・・・〕

これは大他者の不在、大他者は見せかけに過ぎないことを意味する[celle de l'inexistence de l'Autre. …que l'Autre n'est qu'un semblant. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas, 20/11/96)



というわけで、最悪の時代である。


今日、私たちは家父長制の終焉を体験している。ラカンは、それが良い方向には向かわないと予言した[Aujourd'hui, nous vivons véritablement la sor tie de cet ordre patriarcal. Lacan prédisait que ce ne serait pas pour le meilleur. ]。〔・・・〕

私たちは最悪の時代に突入したように見える。もちろん、父の時代(家父長制の時代)は輝かしいものではなかった〔・・・〕。しかしこの秩序がなければ、私たちはまったき方向感覚喪失の時代に入らないという保証はない[Il me semble que (…)  nous sommes entrés dans l'époque du pire - pire que le père. Cer tes, l'époque du père (patriarcat) n'est pas glorieuse, (…) Mais rien ne garantit que sans cet ordre, nous n'entrions pas dans une période de désorientation totale](J.-A. Miller, “Conversation d'actualité avec l'École espagnole du Champ freudien, 2 mai 2021)



とはいえ、イランはまだ家父長制が生き残っている国だろう、ロシアも父の残照が少しは残っているんじゃないか。


…………………



※附記


なおラカンが示した学園紛争を契機に「父なき世代」が始まったことについては、日本でも中井久夫が指摘している。



「学園紛争は何であったか」ということは精神科医の間でひそかに論じられつづけてきた。1960年代から70年代にかけて、世界同時的に起こったということが、もっとも説明を要する点であった。フランス、アメリカ、日本、中国という、別個の社会において起こったのである。「歴史の発展段階説」などでは説明しにくい現象である。


では何が同時的だろうかと考えた。それはまず第二次世界大戦からの時間的距離である。1945年の戦争終結の前後に生まれた人間が成年に達する時点である。つまり、彼らは戦死した父の子であった。あるいは戦争から還ってきた父が生ませた子であった。しかも、この第二次世界大戦から帰ってきた父親たちは第一次大戦中あるいは戦後の混乱期に生まれて恐慌時代に青少年期を送っている人が多い計算になる。ひょっとすると、そのまた父は第一次大戦が当時の西欧知識人に与えた、(われわれが過小評価しがちな)知的衝撃を受けた世代であるかもしれない。


二回の世界大戦(と世界大不況と冷戦と)は世界の各部分を強制的に同期化した。数において戦死者を凌駕する死者を出した大戦末期のインフルエンザ大流行も世界同期的である。また結核もある。これらもこの同期性を強める因子となったろうか。


では、異議申立ての内容を与えたものは何であろうか。精神分析医の多くは、鍵は「父」という言葉だと答えるだろう。実際、彼らの父は、敗戦に打ちひしがれた父、あるいは戦勝国でも戦傷者なりの失望と憂鬱とにさいなまれた父である。戦後の流砂の中で生活に追われながら子育てをした父である。古い「父」の像は消滅し、新しい「父」は見えてこなかった。戦時の行為への罪悪感があるものも多かったであろう。戦勝国民であっても、戦場あるいは都市で生き残るためにおかしたやましいことの一つや二つがあって不思議ではない。二回の大戦によってもっともひどく損傷されたのは「父」である。であるとすれば、その子である「紛争世代」は「父なき世代」である。「超自我なき世代」といおうか。「父」は見えなくなった。フーコーのいう「主体の消滅」、ラカンにおける「父の名」「ファルス」の虚偽性が特にこの世代の共感を生んだのは偶然でなかろう。さらに、この世代が強く共感した人の中に第一次大戦の戦死者の子があることを特筆したい。特にアルベール・カミュ、ロラン・バルトは不遇な戦死者の子である。カミュの父は西部戦線の小戦闘で、バルトの父は漁船改造の哨戒艇の艇長として詳しい戦史に二行ばかり出てくる無名の小海戦で戦死している。


異議申立ての対象である「体制」とは「父的なもの」の総称である。「父なるもの」は「言語による専制」を意味するから、マルクス主義政党も含まれる道理である。もっとも、ここで「子どもは真の権威には反抗しない。反抗するのはバカバカしい権威 silly authority だけである」という精神科医サリヴァンの言葉を思い起こす。第二次大戦とそれに続く冷戦ほど言語的詐術が横行した時代はない。もっとも、その化けの皮は1960年代にすべて剥がれてしまった。(中井久夫「学園紛争は何であったのか」書き下ろし『家族の深淵』1995年)