2024年11月10日日曜日

人生はひまつぶし

 

めげてきたよ、下品な政治にやむなくクビ突っ込んでるのはもはやウンザリしてきたね。




とにかく、生きているうちは暇つぶしがいい。ギターを弾いたり野菜を作ったりするのも暇つぶしだね。


オレには生きていることが青春だからね。死ぬまではずーっと青春の暇つぶしだね。


人生とは、何をしに生まれてきたのかなんてわからなくていい。三千年前に悟りを開いたお釈迦様は、“それは、わからない”と悟ったから悟りを開いたんだね。


まあ、暇をつぶしながら、死ぬまではボーッと生きている。それがオレの人生の道、世渡り術というものだよ。


此の世は動いている。日や月が動いているのだから人の生も死も人の心の移り変わりも動いている。人間も芋虫もその動きの中に生まれてきて死んでいくということだね。(深沢七郎『生きているのはひまつぶし』)



いやあ実に正しいね、この深沢七郎は。



生の目標は死であり、死への回帰である[Das Ziel alles Lebens ist der Tod, und zurückgreifend]〔・・・〕

有機体はそれぞれの流儀に従って死を望む。生命を守る番兵も元をただせば、死に仕える衛兵であった[der Organismus nur auf seine Weise sterben will; auch diese Lebenswächter sind ursprünglich Trabanten des Todes gewesen. ](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)


われわれに課せられている人生はわれわれにとってあまりにも重荷で、われわれにあまりにも多くの苦痛・幻滅・解きがたい課題を押しつけてくる。人生を耐え忍ぶには、鎮痛剤[Linderungsmittel]が不可欠である(テーオドル・フォンターネも、「補助的フィクション[Hilfskonstruktionen] なしではどうにもならない」と言っている)。


この種の鎮痛剤は、おそらく三種類に大別される。すなわち、われわれに自身の惨めさを軽視させてくれるほど強力な気晴らし[mächtige Ablenkungen]、われわれの惨めさを軽減してくれる代理満足[Ersatzbefriedigungen]、それに、われわれを自身の惨めさにたいして鈍感にしてくれる興奮剤 [Rauschstoffe] の三つである。なんらかの意味でこうしたものを欠くことはできない。『カンディッド』の最後を「自分の畑を耕せ」という忠告で締めくくったヴァルテールが意図したのは気晴らしであった。学問的な活動 [wissenschaftliche Tätigkeit]も、この気晴らしの一種である。芸術が与えてくれる代理満足は、現実に対比した場合は錯覚[Illusionen]にすぎないけれども、心理的効果の点では、幻想[Phantasie] が人間の心理活動において占めてきた役割からいって、現実に劣らない。興奮剤は、われわれの身体組織に作用し、その化学構造を変える。宗教が、これら三つのどれに入るかを決定するのは簡単ではない。…(フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』第2章、1930年)



ようするに、人生は死への遠回りの道にすぎないよ、


死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない[le chemin vers la mort n'est rien d'autre que  ce qu'on appelle la jouissance. ](Lacan, S17, 26 Novembre 1969)

享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

死の欲動は現実界である。死は現実界の基盤である[La pulsion de mort c'est le Réel […] la mort, dont c'est  le fondement de Réel ](Lacan, S23, 16 Mars 1976)


佐野洋子さんはいいこと言ってるなあ、


深沢七郎は誰も居ないところに一人で立っている。多分文壇という集団が固まっているところから遠くはるかにたった一人で平気で立っている。私は、彼の小説を読んでいる時、さっととんでいって深沢七郎のうしろにかくれ、遠くの小説群に向って、「ざまあ見ろ」という気持だけになって、アッカンベーをしたくなる。いや事実している。文壇なんて私には関係ないのだが、私がアカンベーをしているのは、多分世間というもの、人間は、食って糞して寝て唯生きて死ぬということがいかに至難のことかということにすっぽり袋をかけて、嘘っぼい飾りをつけて糞もしない様な面をしている奴等につばをひっかけたくなるのである。〔・・・〕

  

 だから誰もあんまり深沢七郎のことをあれこれ云う偉い人は居ないのだと私は思っている。人間は糞たれて食って寝てボコポコ子供を産んで死んでゆくだけだと思いたくないのだきっと、と私は思う。(佐野洋子「深沢七郎全集付録の月報」)



深沢七郎ファンはいい女が多いね、




詩なんてアクを掬いとった人生の上澄みねと

離婚したばかりの女に寝床の中で言われたことがある


ーー谷川俊太郎「マサカリ」より


「あんたは女が一人いれば友達は全然いなくていいんじゃないの」と言われてね、そういうことがパッと見えちゃう。自分では意識してなかったんですけど、本当にそうだったからショックでしたね。(「(語る 人生の贈りもの)谷川俊太郎:10 佐野洋子さんに見抜かれた本質」)


佐野「見えてる通りの人なんじゃない?それでもお育ちもよろしいしお行儀もよろしいし、もみ手もちゃんとなさるし、お作品はあの通り素晴らしいし。


だけどこの人は、見えてる通りぐらいでお付き合いをしていれば、その見えてる通りがずっと通っていく人だと思うんですけれども、よく見ると実に変な人で、言ってみれば地球の上で生きていてはいけないようなとんでもない野郎じゃないか、っていうところはありますね。


たとえば私、この人にはモラルってものがないと思うんですね。「非常識」っていうのは「常識」があって「非」なんですよね、だけどこの人は「無常識」だと思います、私。」(佐野洋子『ほんとのこと言えば?』)




白石かずこもうそうだな、



犬の方が ハピーである
なまじ 思想の帽子はなく
ユートピアなどという本は知らない
時たちの中で
いまも 男たちの精液に濡れ
ペニスのほむらにやかれながら
ラリッて 濡れつづけ
眠りから さめることのできない
弱い よい魂がある
(白石かずこ「聖なる淫者の季節」第七章)



「僕は白石さんの詩はとても好きですね。万葉の額田王の次だと思っている。その次が与謝野晶子だと思っているの。というぐらい白石さんの詩は好きだけれどもね、ほんとうは白石さんという人は、小説を書く人だと思う。」――深沢七郎




「死を想え Memento mori」  白石かずこ

深沢さんは小説「楢山節考」がハンガリーの人達に喜ばれ、家も土地も用意するからいらっしゃいという話があり、身辺整理して行こうとした時に心臓病がわかり、行けなくなったことがありました。床に伏すことが多くなり、私が「大丈夫ですか、深沢さん」と言うと、「大丈夫だよ、死ぬまで生きてるよ」と言い、私は不思議に安心しました。昔、日劇のミュージックホールでギターを弾いていたので歌もうまく、自分が死んだらお経も自分で唱えて、音楽も自分がつけたテープがあるからと言いました。最期は藤棚の下の椅子に座ったまま亡くなっていました。





三島由紀夫は結局、
深沢七郎に降参して死んでいったんだよな、


われわれが反省しなければならないのは、われわれの思想が、それほどまでに確固として存在しているか、どうかだ。それを深沢七郎から反省させられる。こつちは思想はあるけど、存在していない。向うは思想はないが、存在している。それでオブジェだというわけだ。(三島由紀夫「新人小説論」「中央公論」昭和三一年一二月号)

しかしそれは不快な傑作であつた。何かわれわれにとつて、美と秩序への根本的な欲求をあざ笑はれ、われわれが「人間性」と呼んでゐるところの一種の合意と約束を踏みにじられ、ふだんは外気にさらされぬ臓器の感覚が急に空気にさらされたやうな感じにされ、崇高と卑小とが故意にごちやまぜにされ、「悲劇」が軽蔑され、理性も情念も二つながら無意味にされ、読後この世にたよるべきものが何一つなくなつたやうな気持にさせられるものを秘めてゐる不快な傑作であつた。今にいたるも、深沢氏の作品に対する私の恐怖は、「楢山節考」のこの最初の読後感に源してゐる。(三島由紀夫「小説とは何か」1970年



欲動の作家と欲望の作家の違いだね、《不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll]》(フロイト『欲動とその運命』1915年)、つまり享楽の作家、身体の作家と言語の作家の違いだ、《不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ]》(Lacan, S17, 11 Février 1970)、《ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる [Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance]》(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)、《欲望は言語に結びついている[le désir: il tient au langage.]》(J.-A. MILLER "Le Point : Lacan, professeur de désir" 06/06/2013)



要するに自殺というのは自然淘汰だと思うんです。昆虫とか動物には、自殺はないでしょう。人間にあるというのは、人間だけにある自然淘汰ですよ。自殺は、誰でもそうです。ただ三島さんを自然淘汰に追い込んだのは、武ではなくて文で、現代の文学の世界が彼を自然淘汰したのだとおもいますが、つまり、早いはなしが日本の文壇が彼を自然淘汰したのだと思います。彼の作品なんてまったく、少年文学で私はにせものだと思います。それを三島さんは才能があるから気がついたのですねえ。それで、全然別の道で自殺を選んだのです。文から追い出されたのです。(深沢七郎『滅亡対談』ーー「ギター・軽演劇・文学・自殺」(古山高麗雄))




晩年の深沢七郎の本質をズバリと書いている研究者がいるようだな、


近代的ヒューマニズムなどの思考と無縁な深沢は、「生の時間から死の時間への平面的な移行」という事実を諦観している。 近代的な自我の確立といった大命題へ向かっていた近代文壇において、 自然的視線と庶民的発想を文字化した深沢は、間違いなく 「異類・「鬼才」のような存在であろう。 〔・・・〕

1965年から、深沢はラブミー農場への移住を果たし、「隠者・世捨人」として晩年を送った。 「近代の侵食」に直面した彼は、一層冷徹な視線で戦後の民主主義社会を観察し、近代的ものを固く疎外しながら晩年を過ごした。 それに伴って作家の近代における「隠者・世捨人」の姿が次第に定着するようになった。 『人間滅亡的人生案内』 から 『無妙記』までの晩年創作において、 深沢は自然と土俗に基づいた「生の哲学」 と 「死の視線」を示した。 「死」という絶対的な終点から出発し、 「生」を眺めたり再定義したりすることが、深沢晩年作品の特に示唆的なところである。 (高艶「深沢七郎論 近代を見つめる土俗の眼差し」)



深沢ソクラテスだね、


死はまさに哲学に生命を吹きこむ守護神でありまた庇護者であって、ゆえにソクラテスは哲学を「死の練習」と定義した。死というものがなかったならば哲学的思索をなすことすら困難であったろう。

Der Tod ist der eigentliche inspirirende Genius, oder der Musaget der Philosophie, weshalb Sokrates diese auch thanatou meletê definirt hat. Schwerlich sogar würde, auch ohne den Tod, philosophirt werden. (ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』第 41 章、1843年)