2024年11月1日金曜日

木樵が丸太を切るときの喘ぎ声

 

いやあ、このスティーヴン・イッサーリスのサラバンド凄いな、

🎵

J.S. Bach: Cello Suite No. 5 in C Minor, BWV 1011: IV. Sarabande · Steven Isserlis




ロストロポーヴィチやマイスキー、ヨーヨーマ等の演奏とは比べものにならないよ。彼らは効果をあげようとして響かせ過ぎたり、歌わせ過ぎたりして静謐さを失っている。


イッサーリスに唯一欠けているのは、木こりが丸太を切るときのあえぎ声、あのカザルスの声だな、


🎵

Cello Suite No. 5 in C Minor, BWV 1011: Sarabande (Live)· Pablo Casals



音楽ってのはこうやって演奏するもんだよ、最近はチョロい演奏家ばかりだ。


イッサーリスのサラバンドに出会った機縁で久しぶりにカザルスを聞いてみたわけだが、どうしたってヒョウタンを磨きたくなるね。





秋   西脇順三郎


灌木について語りたいと思うが

キノコの生えた丸太に腰かけて

考えている間に

麦の穂や薔薇や菫を入れた

籠にはもう林檎や栗を入れなければならない。

生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で

神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。




瓢箪磨きの促しは、つまりはきのこの匂いのせいだよ、


菌臭は、死ー分解の匂いである。それが、一種独特の気持ちを落ち着かせる、ひんやりとした、なつかしい、少し胸のひろがるような感情を喚起するのは、われわれの心の隅に、死と分解というものをやさしく受け入れる準備のようなものがあるからのように思う。自分のかえってゆく先のかそかな世界を予感させる匂いである。〔・・・〕

菌臭は、単一の匂いではないと思う。カビや茸の種類は多いし、変な物質を作りだすことにかけては第一の生物だから、実にいろいろな物質が混じりあっているのだろう。私は、今までにとおってきたさまざまの、それぞれ独特のなつかしい匂いの中にほとんどすべて何らかの菌臭の混じるのを感じる。幼い日の母の郷里の古い離れ座敷の匂いに、小さな神社に、森の中の池に。日陰ばかりではない。草いきれにむせる夏の休墾地に、登山の途中に谷から上がってくる風に。あるいは夜の川べりに、湖の静かな渚に。〔・・・〕

菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986年『家族の深淵』所収)