2024年11月14日木曜日

イスラエルと米国の「力への渇き」と破滅への道

 

前回の投稿をして思い出したが、ミアシャイマーによれば、政治的リアリズム、つまりリアルポリティック[Realpolitik]の元祖モーゲンソーは、ニーチェ用語を使っているんだよな。



単なる利己主義は譲歩によって鎮められるが、ある要求の満足は、力への意志[ will to power]を刺激し、その要求はますます拡大する。


力への渇き[lust for power]の無制限な性質は、人間の心の一般的な性質を明らかにしている。ウィリアム・ブレイクはこのことを次のように書いている、《「もっと!もっと!」それは誤った魂の叫びである、人間を満足させることはできない[More! More!' is the cry of a mistaken soul: less than all cannot satisfy man.]》。この無限の、常に満たされることのない渇望は、可能な対象が尽きたときに初めて安らぎを得るものであり、アニムス・ドミナンディ[animus dominandi](支配リビドー)は、宇宙との一体化を求める神秘的な渇望、ドン・ファンの愛、ファウストの知識欲と同じ種類のものである。これらの試みは、超越的な目標に向かって個人の自然的限界を押し広げようとするものであるが、この超越的な目標、休息地点に到達するのは想像の中だけで、現実には決して到達しないという点でも共通している。アレクサンダーからヒトラーに至るすべての世界征服者の運命が証明しているように、またイカロス、ドン・ファン、ファウストの伝説が象徴的に示しているように、実際の経験においてそれを実現しようとする試みは、常にそれを試みる個人の破滅[the destruction of the individual] によって終わる。

(ハンス・モーゲンソー『科学的人間対権力政治』Hans Morgenthau, Scientific Man versus Power Politics, 1946年)



力への意志、力への渇きとあるが、まさにニーチェ用語そのままである。


私は、ギリシャ人たちの最も強い本能 、力への意志を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力」に戦慄するのを見てとった。[Ich sah ihren stärksten Instinkt, den Willen zur Macht, ich sah sie zittern vor der unbändigen Gewalt dieses Triebs](ニーチェ「私が古人に負うところのもの Was ich den Alten verdanke」1888年)

欲動は「悦への渇き、生成への渇き、力への渇き」である[die Triebe …: "der Durst nach Lüsten, der Durst nach Werden, der Durst nach Macht"](ニーチェ「力への意志」遺稿第223番、1882 - Frühjahr 1887)



つまり「力への意志=力への渇き=欲動の飼い馴らされていない暴力」であり、フロイトの言い方なら、身体内部から生じる暗黒の有機体の欲動だ。


……このような内部興奮の最大の根源は、いわゆる有機体の欲動[Triebe des Organismus]であり、身体内部[Körperinnern]から派生し、心的装置に伝達されたあらゆる力作用の代表であり、心理学的研究のもっとも重要な、またもっとも暗黒な要素 [dunkelste Element]でもある。

Die ausgiebigsten Quellen solch innerer Erregung sind die sogenannten Triebe des Organismus, die Repräsentanten aller aus dem Körperinnern stammenden, auf den seelischen Apparat übertragenen Kraftwirkungen, selbst das wichtigste wie das dunkelste Element der psychologischen Forschung. (フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)



ラカンの言い方なら、《欲動蠢動、この蠢動は刺激、無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである [la Triebregung …Regung est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute]》(Lacan, S10, 14  Novembre  1962)だ。


蠢動というのはもちろん《エスの欲動蠢動[ Triebregung des Es ]》(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年)だ。

エスの力[Macht des Es]は、個々の有機体的生の真の意図を表す。それは生得的欲求の満足に基づいている。己を生きたままにすること、不安の手段により危険から己を保護すること、そのような目的はエスにはない。それは自我の仕事である。

Die Macht des Es drückt die eigentliche Lebensabsicht des Einzelwesens aus. Sie besteht darin, seine mitgebrachten Bedürfnisse zu befriedigen. Eine Absicht, sich am Leben zu erhalten und sich durch die Angst vor Gefahren zu schützen, kann dem Es nicht zugeschrieben werden. Dies ist die Aufgabe des Ichs (フロイト『精神分析概説』第2章、1939年)

自我の、エスにたいする関係は、奔馬[überlegene Kraft des Pferdes]を統御する騎手に比較されうる。騎手はこれを自分の力で行なうが、自我はかくれた力で行うという相違がある。この比較をつづけると、騎手が馬から落ちたくなければ、しばしば馬の行こうとするほうに進むしかないように、自我もエスの意志[Willen des Es]を、あたかもそれが自分の意志ででもあるかのように、実行にうつすことがある。(フロイト『自我とエス』第2章、1923年)



どうだろ、今のイスラエルはこれやってんじゃないかね、アメリカだってあやしいよ。


フロイトはこうも言っている。

悪魔とは抑圧された無意識の欲動的生の擬人化にほかならない[der Teufel ist doch gewiß nichts anderes als die Personifikation des verdrängten unbewußten Trieblebens ](フロイト『性格と肛門性愛』1908年)

人間の原始的、かつ野蛮で邪悪な衝動(欲動)は、どの個人においても消え去ったわけではなく、私たちの専門用語で言うなら、抑圧されているとはいえ依然として無意識の中に存在し、再び活性化する機会を待っています[die primitiven, wilden und bösen Impulse der Menschheit bei keinem einzelnen verschwunden sind, sondern noch fortbestehen, wenngleich verdrängt, im Unbewußten, wie wir in unserer Kunstsprache sagen, und auf die Anlässe warten, um sich wieder zu betätigen.](フロイト書簡、Brief an Frederik van Eeden、1915年)


あるいは戦争による原人間としての欲動の回帰を。

戦争は、より後期に形成された文化的層をはぎ取り、われわれのなかにある原人間を再び出現させる[Krieg …Er streift uns die späteren Kulturauflagerungen ab und läßt den Urmenschen in uns wieder zum Vorschein kommen. ](フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)

人間のもっとも深い本質はもろもろの欲動活動にあり、この欲動活動は原始的性格をそなえていて、すべてのひとびとにおいて同質であり、ある種の根源的な欲求の充足をめざすものである[daß das tiefste Wesen des Menschen in Triebregungen besteht, die elementarer Natur, bei allen Menschen gleichartig sind und auf die Befriedigung gewisser ursprünglicher Bedürfnisse zielen. ](フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)

以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)



この欲動なる力への渇きを実践したら、先のモーゲンソーによれば破滅に終わるんだがな。どうだろ、イスラエルだけでなく米国も破滅の道を歩んでいるんじゃないだろうかね。NATO、あるいはヨーロッパだってそうかもよ。


イランのムハンマド・マランディ(Mohammad Marandi)が言ってるな、似たようなことを。





ま、連中は破滅してもヤムエナイから、世界が破滅しないことを祈るがね。


世界の終わりは内的カタストロフィの投影である[Der Weltuntergang ist die Projektion dieser innerlichen Katastrophe](フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)

フロイトの投影メカニズム[le mécanisme de la projection]の定式は次のものである…内部で拒絶されたものは、外部に現れる[ce qui a été rejeté de l'intérieur réapparaît par l'extérieur](ラカン, S3, 11 Avril 1956)