この柄谷=ヤスパースに準拠すれば、我々はみなガザジェノサイドの責任がある。
ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。
第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。
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第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)
つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。
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第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。
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最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。
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この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』P189注、2001年)
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《刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類》とあるが、最初の刑事的責任は、ネタニタフ等のイスラエルリーダーだけの責任ではなく、イスラエルを支援してきた西側指導層は、本来的にはニュールンベルク裁判のような裁判で裁かれ、絞首台に送られるべきものだ。
だが政治的責任、道徳的責任は我々みながもっている。
政治的責任ーー《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》
道徳的責任、ーー《法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである》
形而上的責任はここでは保留しておこう、それは主にトラウマ(傷)に関わるだろうから。
心的外傷の別の面⋯⋯殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。
阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある。(中井久夫「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)
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なお、道徳的責任とは、例えばクリス・ヘッジズとダニエル・コバリクが言っているようなことだ[参照]。
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◼️クリス・ヘッジズ「ガザの子どもたちへの手紙」
Letter to the Children of Gaza by Chris Hedges Nov 13, 2023
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私たちは君の期待を裏切りました。これが私たちが背負っているひどい罪悪感です。私たちは努力しました。しかし、十分な努力ができませんでした。私たちはラファに行きます。私たちの多くは。記者として。私たちはガザとの境界線の外に立ち、抗議します。私たちは書き、撮影します。これが私たちのすることです。大したことではありませんが、何かはあります。私たちは君の物語をもう一度語ります。
もしかしたら、それが君の許しを請う権利を得るのに十分なのかもしれません。
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We have failed you. This is the awful guilt we carry. We tried. But we did not try hard enough. We will go to Rafah. Many of us. Reporters. We will stand outside the border with Gaza in protest. We will write and film. This is what we do. It is not much. But it is something. We will tell your story again.
Maybe it will be enough to earn the right to ask for your forgiveness.
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ダニエル・コバリクDaniel Kovalik:2025/01/06
世界にはもっとイエメンが必要だ。
世界はイエメンを除いてガザを裏切った。イエメンに神のご加護を。彼らは天国に行く。そして残りの我々は地獄で焼かれるだろう…
We need more Yemens in the world
The world has failed Gaza except for Yemen, God bless Yemen they are going to Heaven, and the rest of us will burn in hell ..
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……………
形而上的責任とはアドルノがまずは次のように言った内容だ。
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アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である[Nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch」(アドルノ『文化批評』1949年)
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アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった[Alle Kultur nach Auschwitz, samt der dringlichen Kritik daran, ist Müll](アドルノ『否定弁証法』1966年)
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この内実が、プリーモ・レーヴィの記したようなことであれば、柄谷=カントの道徳的責任ーー《ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである》ーーに包含される。
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情報を得る可能性がいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった、それを知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。国家が行使してくるテロリズムは、確かに、抵抗不可能なほど強力な武器だ。だが全体的に見て、ドイツ国民がまったく抵抗を試みなかった、というのは事実だ。ヒットラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問をされても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、 耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、 という幻想をつくりあげたのだ。
知り、知らせることは、ナチズムから距離をとる一つの方法だった。(そして結局、さほど危険でもなかった。)ドイツ国民は全体的に見て、そうしようとしなかった、この考え抜かれた意図的な怠慢こそ犯罪行為だ、と私は考える。 (プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』)
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執筆活動を通して収容所トラウマを克服したと考えられていたプリーモ・レーヴィは、だが1987 年、自宅のアパートで飛び降り自殺をした。プリーモの友人エリ・ヴィーゼルはーー彼もアウシュヴィッツの生き残りでノーベル平和賞受賞作家であるーー、その自伝でこう書いている。
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死ぬとはどうしてなんだ、 プリーモ? どんな人間の人生について、どんな真理をわたしたちに語ってくれるというんだ。彼は自分の思索と思い出をとことん突き詰めたかったのだろうか。 本気で死の中に入りたかったのだろうか。 もはや理由を知る術もないが、彼が死ぬ少し前に私は電話をしていた。 突然の虫の知らせだったのか? 彼の声はねばつき、重かった。 「うまくいかない。 まったくだめなんだ」と、彼はゆっくりした口調で言った。 「なにがだめなんだ、プリーモ?」 「ああ、この世だ、この世がだめなんだ。」 そして彼は、それほどうまくいかない世の中に何を探し求めに来たのかわからなかった。 「心配事があるのかい、プリーモ?」いいや、 心配事があるのではなかった。 ・・・イタリアで彼は読まれ、讃えられ、栄誉を受け、だがうまくいかなかったのだ。・・・
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それは強制収容所を体験した彼という作家が記憶とその働き、ものを書くこととその罠、言語とその限界にどう対処するかということと関わる。 カフカという不幸な使者のように、 彼は自分のメッセージが受け取られもせず、伝えられもしないと考えた。 もっと悪いのは、伝えられたのに何も変わらなかった場合だ。 彼は社会や人間の本性になんの影響も及ぼさなかったことになる。 まるで人類が彼を使者とした死者たちを忘れ去ったように、すべてが過ぎていく。あたかも彼が使者たちの遺言を紛失したかのようにだ。(エリ・ヴィーゼル『しかし海は満ちることなく』)
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