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2025年11月12日水曜日

日中「平和的解決」のために


これは当分収まりそうもないな。








こんなのさえあるや、どこのどういう有識者なのかと中国語にして検索してみたが行き当たらず、つまり信憑性のほどは判然としないが。




他方ーー、








意地と面子の闘いでもあるだろうがね、

「日本人の意地は欧米人の自我に相当する」とは名古屋の精神科医・大橋一恵氏の名言である。中国人の「面子」にも相当しよう。(中井久夫「「踏み越え」について」初出2003年『徴候・記憶・外傷』所収)



国交断絶なんてことにならないよう「平和的解決」のためには、高市早苗だけでなく野党の党首も何人か率先してぶら下がってもらわないとたぶん許してくれないよ。



私はまったく平和的な人間だ。私の希望といえば、粗末な小屋に藁ぶき屋根、ただしベッドと食事は上等品、非常に新鮮なミルクにバター、窓の前には花、玄関先にはきれいな木が五、六本――それに、私の幸福を完全なものにして下さる意志が神さまにおありなら、これらの木に私の敵をまあ六人か七人ぶら下げて、私を喜ばせて下さるだろう。そうすれば私は、大いに感激して、これらの敵が生前私に加えたあらゆる不正を、死刑執行まえに許してやることだろう――まったくのところ、敵は許してやるべきだ。でもそれは、敵が絞首刑になるときまってからだ。(ハイネ『随想』)

Ich habe die friedlichste Gesinnung. Meine Wünsche sind: eine bescheidene Hütte, ein Strohdach, aber ein gutes Bett, gutes Essen, Milch und Butter, sehr frisch, vor dem Fenster Blumen, vor der Tür einige schöne Baume, und wenn der liebe Gott mich ganz glücklich machen will, läßt er mich die Freude erleben, daß an diesen Bäumen etwa sechs bis sieben meiner Feinde aufgehängt werden. Mit gerührtem Herzen werde ich ihnen vor ihrem Tode alle Unbill verzeihen, die sie mir im Leben zugefügt — ja, man muß seinen Feinden verzeihen, aber nicht früher, als bis sie gehenkt werden. (Heine, Gedanken und Einfälle.)




ところでもうそろそろだな、李鵬の予言の年の訪れは。

武藤国務大臣)……そのオーストラリアへ参りましたときに、オーストラリアの当時のキーティング首相から言われた一つの言葉が、日本はもうつぶれるのじゃないかと。実は、この間中国の李鵬首相と会ったら、李鵬首相いわく、君、オーストラリアは日本を大変頼りにしているようだけれども、まああと三十年もしたら大体あの国はつぶれるだろう、こういうことを李鵬首相がキーティングさんに言ったと。非常にキーティングさんはショックを受けながらも、私がちょうど行ったものですから、おまえはどう思うか、こういう話だったのです。私は、それはまあ、何と李鵬さんが言ったか知らないけれども、これは日本の国の政治家としてつぶれますよなんて言えっこないじゃないか、確かに今の状況から見れば非常に問題があることは事実だけれども、必ず立ち直るから心配するなと言って、実は帰ってまいりました。(第140回国会 行政改革に関する特別委員会 第4号 平成九年五月九日



……………


※附記


こんなことを言ってる人もいるな、




たしかに高市は男以上に男のところがあるからな、


女たちは男以上に男である[les femmes sont plus homme que l'homme](Lacan, S24, 10 mai 1977)


このラカンの言っていることは「女たちは男以上にファルスである」ということだ。

一般に考えられている事とは異なり、ファルスの本質は音声(パロール)の機能であり、このファルスは男を代替する[c'est là l'essence du Φ,  contrairement à ce qu'on croit …une fonction de phonation qui se trouve être substitutive du mâle] (Lacan, S23, 17 Février 1976)

ラカンは、大胆かつ論理的に、パロール享楽をファルス享楽と同じものとしている。ファルス享楽が身体と不一致するという理由で[jouissance de la parole que Lacan identifie, avec audace et avec logique, à la jouissance phallique en tant qu'elle est dysharmonique au corps. ](J.-A. Miller, L'inconscient et le corps parlant, 2014)


パロール享楽、つまり女たちは男以上に人間を悩ます癌だということだ。

パロールは寄生虫。パロールはうわべ飾り。パロールは人間を悩ます癌の形式である[La parole est un parasite. La parole est un placage. La parole est la forme de cancer dont l'être humain est affligé.](Lacan, S23, 17 Février 1976)