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2026年6月13日土曜日

お釈迦様はウソをついてござる。男が悟りをひらくなんて、考えられることだろうか?

 

ははあ、日本のセックスドールがこんなところでも活躍してるんだな、




・・・とはいえ昇華度が足りないんだろうよ


プラトンは考えた、知への愛と哲学は昇華された性欲動だと[Platon meint, die Liebe zur Erkenntniß und Philosophie sei ein sublimirter Geschlechtstrieb](ニーチェ断章 (KSA 9, 486) 1880–1882

人間の日常生活の観察が示しているのは、たいていの人は性的欲動力を大部分を彼らの職業活動に振り向けることに成功していることである[Die Beobachtung des täglichen Lebens der Menschen zeigt uns, daß es den meisten gelingt, ganz ansehnliche Anteile ihrer sexuellen Triebkräfte auf ihre Berufstätigkeit zu leiten.](フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』第1章、1910年)

エスのリビドーの脱性化あるいは昇華化 die Libido des Es desexualisiert oder sublimiert ](フロイト『自我とエス』4章、1923年)

われわれの心的装置が許容する範囲でリビドーの目標をずらせること、これによってわれわれの心的装置の柔軟性は非常に増大する。つまり、欲動の目標をずらせることによって、外界が拒否してもその目標の達成が妨げられないようにする。この目的のためには、欲動の昇華[ Sublimierung der Triebe]が役立つ。一番いいのは、心理的および知的作業から生まれる快の獲得[Lustgewinn]を充分に高めることに成功する場合である。(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第2章、1930年)

ヒステリー ・強迫神経症・パラノイアは、芸術・宗教・科学の昇華の三様式である[l'hystérie, de la névrose obsessionnelle et de la paranoïa, de ces trois termes de sublimation : l'art, la religion et la science(ラカン、S7, 03  Février  1960)




いくらかは工夫はされてるんだろうがね、


男はたしかに凡夫にすぎない。ソノ子のお尻の行雲流水の境地には比すべくもないのである。水もとまらず、影も宿らず、そのお尻は醇乎としてお尻そのものであり、明鏡止水とは、又、これである。 


乳くさい子供の香がまだプンプン匂うような、しかし、精気たくましくもりあがった形の可愛いゝお乳とお尻を考えて、和尚は途方にくれたのである。お釈迦様はウソをついてござる。男が悟りをひらくなんて、考えられることだろうかと。(坂口安吾『行雲流水』1949年)

女のふくらはぎを見て雲の上から落っこったという久米の仙人の墜落ぶり〔・・・〕。

然しまことの文学というものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美というものではないか。(坂口安吾『教祖の文学――小林秀雄論――』1947年)



人間の今日までの発展は、私には動物の場合とおなじ説明でこと足りるように思われるし、少数の個人において完成へのやむことなき衝迫[rastlosen Drang zu weiterer Vervollkommnung ]とみられるものは、当然、人間文化の価値多いものがその上に打ちたてられている欲動抑圧[Triebverdrängung]の結果として理解されるのである。

抑圧された欲動[verdrängte Trieb は、一次的な満足体験の反復を本質とする満足達成の努力をけっして放棄しない。あらゆる代理形成と反動形成と昇華[alle Ersatz-, Reaktionsbildungen und Sublimierungen]は、欲動の止むことなき緊張を除くには不充分であり、見出された満足快感と求められたそれとの相違から、あらたな状況にとどまっているわけにゆかず、詩人の言葉にあるとおり、「束縛を排して休みなく前へと突き進むungebändigt immer vorwärts dringt」(メフィストフェレスーー『ファウスト』第一部)のを余儀なくする動因が生ずる。(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)


不気味なものは秘密の慣れ親しんだものであり、一度抑圧をへてそこから回帰したものである[Es mag zutreffen, daß das Unheimliche das Heimliche-Heimische ist, das eine Verdrängung erfahren hat und aus ihr wiedergekehrt ist,](フロイト『不気味なもの』第3章、1919年)

女性器は不気味なものである。しかしこの不気味なものは、人がみなかつて最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。

das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. Dieses Unheimliche ist aber der Eingang zur alten Heimat des Menschenkindes, zur Örtlichkeit, in der jeder einmal und zuerst geweilt hat.

「愛は郷愁だ」とジョークは言う。そして夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器、あるいは母胎であるとみなしてよい。

»Liebe ist Heimweh«, behauptet ein Scherzwort, und wenn der Träumer von einer Örtlichkeit oder Landschaft noch im Traume denkt: Das ist mir bekannt, da war ich schon einmal, so darf die Deutung dafür das Genitale oder den Leib der Mutter einsetzen.

したがっての場合においてもまた、不気味なものはかつて親しかったもの、昔なじみのものである。この言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴なのである。

Das Unheimliche ist also auch in diesem Falle das ehemals Heimische, Altvertraute. Die Vorsilbe » un« an diesem Worte ist aber die Marke der Verdrängung.

(フロイト『不気味なもの』第2章、1919年)






多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。(キャサリン・ブラックリッジ『ヴァギナ 女性器の文化史 』)