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2026年6月26日金曜日

まだ立たぬ阿鼻叫喚が、聞こえて来ないか

 





他人事じゃないぜ、ベネズエラの手抜き工事は。ーー《まだ立たぬ阿鼻叫喚が、聞こえて来ないか》。


大地震とまでは行かなくても、ある程度の激震で倒壊するおそれのある高層の建物が、さしあたり無事に立っている。人が居住している。人が宿泊している。周辺には大勢の人が暮らす。道路も通る。


あちこちに建った。数えるにつれて増えていく。それらの不正に自身が手を、ほかでもないこの手を染めて来た。


夜の寝入りに、未明の寝覚めに、そらおそろしくなりはしないか。まだ立たぬ阿鼻叫喚が、聞こえて来ないか。白昼にも、不意の寝覚めのような境は挿まる。


考えずに来た。考えては生きていられない。考える閑を自身にあたえぬために、日夜、仕事に追いまくられるままになった。考えることをいよいよ徒労とするために、退路を断つ心で、さらに不正を重ねた。


手法が定まれば、その至り着くところを思わなくなる。手法は成果によって保証されるが、その成果のさらに先の、必然の帰結は想像の外の宙へ浮く。無事の虚構の先端が断崖から、淵の上へ迫り出していく。想像を欠くことによってのみ保たれる釣合いである。


もっぱら精密の器械の操作による行為はよけいに剥離を許す。 素手の作業なら、面倒というだけでなく、その行為の悪の重さが手に掛かる。なまじの心よりも手のほうがやましさにこわばる。器械の鍵盤を叩くのはかならずしも、手の業とは言えない。指の走るにつれて出る器械の応答からは、行為の経緯が寸断される。


共同の不正の、連繋の一環の行為であって、どこかに中心があり主体があり、自身は末端で作用しているに過ぎない、と意識されるなら個人の存在は薄くなる。上に殺生与奪の権を握られて、是非もないところへ追いこまれたと思えば、そのかぎり免減は確保される。しかし不正の連環の何処にも、主体を確かに指摘できる中心が存在しない、ということも今の世では考えられる。悪事と言えば首謀やら黒幕やらを思うのが人の習いであるが、もしもじつは中心も中枢もない、全体としては「無主」の、慣性による運動であるとすれば、どこまで行っても見境の、警戒の、信号は点ることがない。


考えまいとして仕事へのめりこむ。夢にうなされまいとして夜の眠りを短い昏睡へ切り詰める。立ち停まってはならない。先を見ても後を振り返ってもならない。人心地のつくのはまして禁物である。油断して仮にも安堵の息を吐けばたちまち、腋から股間から、脂汗の染み出る体感を、体臭を覚える。すれ違った人がわざと振り向かずに小手をちらっと振る。目配せがから人へ伝わる。しかし何事もない。見棄てられた気持が残る。

年月が重なれば、同じ操作の反復に苦しんで、処理の仕方がおのずと過激になっていきながら、それなりの安定に入る。日常の安定こそ、経緯によっては、そらおそろしい。薄氷を踏んで行く者は、とうてい後戻りのきかぬところまで来ると、怖れもなげな足取りになる。不安は白い靄となって前後を包みこむ。その頃になり共謀の関係にある者たちがときおり、物言わぬ男を見るような、臆した眼を向ける。動じない男だと周囲が舌を巻いているという。何でも黙って請け負い、黙ってこなすところを見ると、あれにはもとから、何かが欠けているのだ、と利用しながら眉をひそめる者もあると聞く。じつはいったん理非を、多数の生命に関わる域まで踏みはずしてしまったからには、まともに物を言おうとしたら、叫ぶよりほかにないので、仕事のやりとりの節目では黙っている。叫ぶまいとして黙っているのは、叫ぶのに劣らず、それ自体躁がしい。

そのうちに、ほんとうに黙りこむ。沈黙ですらない。ただ何かを待って張りつめる空白が内にある。沈黙はむしろ外にあり、夜半には地の底にわたり、天へ押しあげ、屋の棟がさがり、内で叫びかかると、喘ぎにまでならぬうちに吸い取ってしまう。それにひきかえ人との折衝の場では応答が簡潔になり適確になり、今にくらべれば以前の、人にいささか気味悪がられていたらしい無言の承諾はいちいち、呻きであったように思われる。空の器は打てば響く。徒労の極みから出る言葉は明快らしくなる。その自分の声を自分で、離れて聞いている。それまでは通らなかった言い分がささやかながら通る。いまさら取り返しのつかぬことなので、その場かぎりの筋を少々通しても徒労などころか、不正の上塗りを重ねるようなものの、それ以上先へ行く恐ろしさを、声をひそめてたしなめる口調になっている。その理に屈した様子も見えないのに相手は黙ってひきさがる。まるで神罰を説くようなあの口は、一体、誰の口だったのだろう、と後から自分で驚く。


ひきつづき前後を白い靄につつまれて、そのつど現在しかない。背後から、後戻りのきかない一線を踏み越える以前の、今となっては安らかだった日々が呼ぶこともあったが、いつかその声も届かなくなった。前方は叫びをふくんで静まり返っている。


笑うこともある。 笑いは悪相に似る。


(古井由吉「朝の男」『白暗淵』2007年)



上に「無主」とあった。

このまま右肩上がりを前提にし続ければ、意外に人類の滅亡は早いんじゃないでしょうか。 もはや、滅亡をどう先送りするかという地点にまで来てしまったのではないでしょうか。〔・・・〕

民主主義の極地は、「民意」という名の下に全体主義の形を取り、全体主義の極地は、国家間の境界を越えた超資本主義の形を取ります。


ここで、無主主義という観念を導入した方がいいと思います。今は民主主義が尖鋭化して全体主義になった状況を考えた方が世界を見易いですが、独裁者がいるかと問われれば、 いないでしょう。主人はマネーかもしれないんです。(古井由吉『新潮 45』2012 年 1 月号 片山杜秀との対談)


「主人はマネー」▶︎


◼️ジャック=アラン・ミレール「ラカンは資本主義の世界的支配を予見した」

Jacques-Alain Miller: “Lacan Foresaw the Global Domination of Capitalism”

 8 August, 2022  Oscar Ranzani*

極右の台頭が著しい世界で、資本の言説についてどう考えればいいのでしょうか。


ーーラカンは、若者やそれ以上の人々が資本主義について話していたときに、資本の言説を形式化した。例えば、68年の大いなる問いである。ラカンは当時の文化に本質的な問題を求め、それを自分の言説に翻訳した。資本の言説について語られるとき、それは、共産主義諸国や第三世界には、左派に共鳴的な代替案があるように思われたからだ。しかし、現在はそうではない。資本主義はどこにでもある。グローバリゼーションは資本のグローバル化である。代替案はない。あるいは、民主主義的資本主義と権威主義的資本主義との間の代替でしかない。そして、もしラカンが今日のことを考えたら、資本の言説の形式化は違ったものになっていただろうと思う。同時に、私が言っていることとは正反対の逸話もある。

How can one think about capitalist discourse today in a world marked by the advance of the ultra-right?

 

– Lacan formalises the capitalist discourse when all the youth and beyond were talking about capitalism. It was the great question of '68, for example. Lacan sought in the culture of his time the essential concerns and gave them a translation in his discourse in order to divert, to have an impact on these issues without rejecting them, accepting them in order to transform them. When people spoke of the capitalist discourse, it was because it seemed
that there was an alternative in the communist countries, with the Third World, but which was more sympathetic to the left. This is not the case today. Capitalism is everywhere. Globalisation is the globalisation of capital. There is no alternative. Or the alternative is between democratic capitalism and authoritarian capitalism. 

And I think that if Lacan thought about things today, his formalisation of capitalist discourse would be different. At the same time, I have an anecdote that perhaps says the opposite of what I am saying.

どんなものですか?


かつて、私的な会話の中で、私はラカンに中国で何が起こっているかについてどう思うか尋ねた。 1960年代のことだった。私はマオイストで、毛沢東が中国でやろうとしていることは全く前例のないことだと考えていた。するとラカンは私にこう答えた、「他のどこでもそうであるように、北京でも主人はマネーだ」。その予測と洞察において並外れたものだった。彼はすでに、未来は資本主義が世界を支配するという考えを持っていた。

How does it go? 


– Once, in a private conversation, I asked Lacan what he thought about what was happening in China. It was in the 1960s. I was a Maoist and I thought that there was something totally unprecedented that Mao was trying to do in China. And Lacan answered me: “In Peking, as everywhere else, the master is money”. It was extraordinary in its anticipation and lucidity. He already had the idea that the future was the domination of capitalism in the world.




先の「朝の男」には、《笑うこともある。 笑いは悪相に似る》ともあった。


聖人となればなるほど、ひとはよく笑う。これが私の原則であり、ひいては資本の言説からの脱却なのだが、それが単に一握りの人たちだけにとってなら、進歩とはならない[Plus on est de saints, plus on rit, c'est mon principe, voire la sortie du discours capitaliste, - ce qui ne constituera pas un progrès, si c'est seulement pour certains.  (LACAN,TÉLÉVISION, Noël 1973)



……………


※附記


しかし現在の苦境は、我が国ばかりでなく世界全体がひとつの限界域に、展開の限界に踏み入りつつあるところから、来るのではないか。(古井由吉「節を分ける時」『楽天の日々』2017年)

近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。


その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。同時にそのとき、文学がよみがえるかもしれません。僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉『しぶとく生き残った末裔として』 インタビュー富岡幸一郎『すばる』2015年9月号)


▶︎科学の言説と資本の言説による伝統文化の破壊




◼️マイケル・ハドソン「石油強奪ドクトリン」202641

The Oil Grab Doctrine By Michael Hudson, April 1, 2026

グレン・ディーセン:私たちはよく、米国経済、そして世界経済の悪化について議論します。世界経済は明らかに、もはや持続不可能な基盤の上に成り立っています。米国もこのことを認識しています。いくつかの国は新たな現実に適応しようとしています。他の国は事態の悪化を遅らせようとしています。また、起きてしまったことを覆そうとしている国もあります。しかし、イランとの戦争は、私たちが指摘してきたこうした危険な兆候をさらに悪化させているように見えます。


そして、この戦争の後、世界は以前の状態に戻ることはできないように思えます。あなたはどのように評価されていますか?この戦争は世界経済に多方面にわたって影響を与えています。エネルギー、そして肥料は言うまでもなく重要ですが、この戦争の波及効果をどのように見ていますか?

Glenn Diesen: So we often discuss the deteriorating state of the U.S. economy as well as the global economy, which is now based obviously on a foundation which is no longer sustainable. The U.S. knows this is the case. Some countries try to adjust to new realities. Others are trying to delay. Others are trying to reverse what has happened. But this war against Iran really seems to intensify all these dangerous symptoms, which we speak of. 

And it seems like the world can’t really go back to the way it was after this war. I was wondering how do you assess it? Because this war impacts the global economy on so many levels. Energy, obviously, fertilizers are key, but how do you see the ramifications of this war?

マイケル・ハドソン:〔・・・〕何が起ころうとも、世界は1930年代の世界恐慌以来、最も深刻な不況に陥るでしょう。何が起ころうとも、この不況を避ける方法はありません。そして、株式市場とその回復がこれほどまでに奇妙なのは、まるで彼らが、米国とイスラエルが取った行動が取り返しのつかないものであるという事実を受け入れられないかのようです。イランが被ったすべての損害に対する賠償金は誰が支払うのでしょうか?これらすべてが解決するには、おそらく少なくとも今年の残りの期間を要するでしょう。ご質問にお答えすると、米国経済と世界の他の地域は、非常に深刻な不況に陥ろうとしています。

Michael Hudson: …So no matter what happens, the world is going to be in the most serious depression since the Great Depression of the 1930s. No matter what happens, there is no way of avoiding this depression. And that’s what’s so crazy about the stock market and its recovery. It’s as if somehow they can’t come to terms with the fact that the actions taken by the United States and Israel are irreversible. Who’s going to pay for the reparations to Iran for all of the damage done to make them whole? All of this is going to probably take at least the balance of this year to work out. To answer your question, the U.S. economy and the rest of the world are going into a very serious depression. 

〔・・・〕

マイケル・ハドソン:まず、語彙について一言申し上げたいのですが、「衰退」declineという言葉よりもずっと適切な言葉が必要です。あなたが言及した、衰退を予測した人々は、自分たちが何を言っているのか全く分かっていませんでした。衰退とは、いわば景気循環のようなものです。上昇と下降を繰り返し、必ず回復し、また上昇と下降を繰り返します。しかし、統計的に見て、景気循環というものは存在しません。実際に起こったことはこうです。景気循環の上昇局面があり、その後、急落するのです。これはラチェット効果です。衰退ではなく、崩壊(クラッシュ)なのです[There’s no decline, it’s a crash。衰退は上昇の対極にあるようなものです。上昇は緩やかで、指数関数的に、おそらく成長し、ピークに達し、そして急落します。まさに今、それが起こっているのです。もし他の国々が「確かに衰退は起こるだろう」と考えていたなら、それは衰退だったでしょう。私たちは、アメリカの主導の下でこれまで機能してきたシステムに代わるものを考えなければなりません。


しかし、そうはならなかった。そして今、私たちは時代の終焉を目の当たりにしています。それは衰退ではなく、急激な変化です。そしてこの変化は外部から生じたものではない。アメリカの権力の終焉 The ending of the American power]は、いかなる外国の内戦や、アメリカの覇権に対する戦争によってもたらされたものではない。その終焉は、米国自身が自らの国益を他国すべてと対立させようとしたことに起因します。

Michael Hudson: Let me say one thing before just on your vocabulary. We need a much better word than decline. The people who you mentioned, who forecast the decline, didn’t have a clue as to what they were talking about. A decline is something, you know, it’s like a business cycle. It goes up and down, then it always recovers, up and down. But there’s never been any such thing statistically as a cycle. Here’s what happened: there’s certainly the upsweep of the cycle, and then a crash. It’s a ratchet effect. There’s no decline, it’s a crash. A decline is sort of like the counterpart to an ascent. The ascent is slow, exponential, perhaps, growing, peaking, and then a crash. And that’s what’s happening now. And it would have been a decline if other countries would have thought of, yes, there will be a decline. We have to think of what’s going to take the place of the system that we’ve been working in under U.S. leadership.

But they haven’t. And so, we’re seeing the ending of an era, not a decline, but an abrupt change. And this change is not stemming from without. The ending of the American power did not result from any foreign civil war or other war against American dominance. The end came from the United States itself in trying to juxtapose its interest to every other country,…