最近は警告マークがつくんだよな。
裏垢の「仮厦」でもさ。
ネット上にふつうに落ちているエロトス画像を貼り付けてるだけなのにさ。
ところで荒木経惟の「エロトス(Erotos)」は至高の詩人伊藤比呂美さんとのコラボなんだ。
荒木経惟の写真たちの中に喜多見駅周辺の写真を見てあこれはわたしが性交する場所だと思って恥ずかしいと感じたのだわたしは25歳の女であるからふつうに性行為する。板橋区から世田谷区まで来る来るとちゅうは性行為を思いださない性欲しない車外を行き過ぎる世田谷区の草木を見ているこの季節はようりょくそが層をなしている飽和状態まで水分がたかまる会えばたのしさを感じるだから媚びて手を振るが性行為を思いだすのはアパートの部屋でラジオをつけた時である
性行為に当然さがつけ加わった
踏切を渡って駅に出る
もしかしてぬるぬるのままの性器にぱんつをひっぱりあげて肉片の残る喜多見の踏切を渡ったかもしれないのである
水分はあとからあとから湧きでて
ぱんつに染みた
ーー伊藤比呂美「小田急線喜多見駅周辺」
実に世知辛い世の中だよ、ふつうの行為の画像貼り付けるだけで警告くるなんて。
むかしはふつうに茶の間に侵入していた横浜国大出のインテリ乙女黒木香さんの画像のほうがずっとエロいと思うんだがね。
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おまんこ、と叫んでも誰も何の反応も示さなくなるまで、わたしはおまんこと言いつづけるだろうし、女のワキ毛に衝撃力がなくなるまで、黒木香さんは腕をたかだかとあげつづけるだろう。それまでわたしたちは、たくさんのおまんこを見つめ、描き、語りつづけなければならない.そしてたくさんのおまんこをとおして“女性自身(わたしじしん)”が見えてくることだろう。(上野千鶴子『女遊び』1988年)
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………………
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そもそもラカンの穴は精神分析の核心である原抑圧の引力の穴のことなんだがな、
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私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
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われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる。
die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)
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人はみな本来的に穴さ。
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私は私で穴だ、そうだろ? 穴は呑み込むこともあれば、ときに吐き出すこともある。Je suis ce que je suis, ça c'est un trou, non ? Un trou […], un trou ça engloutit, et puis il y a des moments où ça recrache. (Lacan, S22, 15 Avril 1975)
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で、穴の引力の別名はブラックホールだ。
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ジイドを不安で満たして止まなかったものは、女の形態の光景の顕現、女のヴェールが落ちて、ブラックホールのみを見させる光景の顕現である[toujours le désolera de son angoisse l'apparition sur la scène d'une forme de femme qui, son voile tombé, ne laisse voir qu'un trou noir ](Lacan, JEUNESSE DE GIDE, E750, 1958)
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で、この原抑圧の穴は穴のシニフィアンS(Ⱥ)と記されてこれが何よりものの核心なんだがね。
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原抑圧は抑圧というより固着である[primary repression is not so much a repression as a fixation]〔・・・〕原抑圧はS(Ⱥ) に関わる[Primary repression concerns S(Ⱥ)](ポール・バーハウPAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, CHAPTER 9. 1997).
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あなたを呑み込むヴァギナデンタータ、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ)の効果[an effect of S(Ⱥ) as a sucking vagina dentata, eventually as an astronomical black hole absorbing all energy ](ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?、1997)
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で、上にあるように原抑圧は固着のことであり、これが精神分析のキモだよ。
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固着は、フロイトが原症状と考えたものである[Fixations, which Freud considered to be primal symptoms,](Paul Verhaeghe and Declercq, Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way, 2002)
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分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ](J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)
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で、もちろん固着の原点にあるのは、女性器への固着だよ。
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すべての幼児期理論の共通の特徴は、民俗学的にも証明されているが(特に神話や妖精物語)、女性の性的器官の否認である。そこには経験された出産外傷の抑圧が明瞭に基礎にある。
Der gemeinsame Zug aller infantilen Geburtstheorien, die auch ethnologisch {Mythen und besonders Märchen) reichlich zu belegen sind ist die Verleugnung des weiblichen Sexualorgans und dies verrät deutlich, daß sie auf der Verdrängung des dort erlebten Geburtstraumas beruhen.
出生の器官としての女性器の機能への不快な固着は、究極的には成人の性的生のすべての神経症的障害の底に横たわっている。女性の冷感症から男性の心的インポテンツまでである。
Die unlustvolle Fixierung an diese Funktion des weiblichen Genitales als Gebärorgan, liegt letzten Endes noch allen neurotischen Störungen des erwachsenen Sexuallebens zugrunde, der psychischen Impotenz wie der weiblichen Frigidität in allen ihren Formen, (オットー・ランク『出産外傷』Otto Rank "Das Trauma der Geburt" 1924年)
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性交が中断されたとき引き起こされる性的機能の障害との遭遇は、母の性器の不安(危険なヴァギナデンタータ)に相当する。Störungen der Sexual funktion hinüberleitet, indem der sie auslösende Koitus interruptus der Angst vor dem mütterlichen Genitale entspricht (gefährliche vagina dentata). (オットー・ランク『出産外傷』1924年)
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ラカンの「不安セミネール」で展開されたこと、それはまた、フロイトの『制止、症状、不安』においてまとめられた不安理論、『出産外傷』におけるオットー・ランクの貢献としての不安理論を支持している[que c'est développé dans le Séminaire de l'Angoisse,… prend aussi en charge, …la théorie freudienne de l'angoisse qui intègre dans Inhibition, symptôme, angoisse l'apport d'Otto Rank sur le traumatisme de la naissance. ](J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne- 12/05/2004)
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フロイトはいくらかズラして言ってるがね、原不安=原トラウマ=原固着=原抑圧と。
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不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, (…) daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
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出産外傷、つまり出生という行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧を受けて存続する可能性をともなう「原トラウマ[Urtrauma]」と見なせる。
Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)
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ま、いずれにせよ、ブラックホールは回帰するんだよ。
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結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)
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日本のラカニアンはクダラヌことグダグダ書いておらずに、せめてこれぐらいのことは一般大衆に周知徹底させてほしいもんだがな、そうしたら厚顔無恥な警告なんてこない筈だよ。あいつらいったい何やってんだろ?
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そもそもすべての女は歩くブラックホールだよ、そんなのは西脇順三郎がとっくの昔に指摘している。詩だから一般人にはわかりにくいだけだ。
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けやきの木の小路を
よこぎる女のひとの
またのはこびの
青白い
終りを
………
路ばたにマンダラゲが咲く
ーー西脇順三郎「禮記」
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柿の木の杖をつき
坂を上つて行く
女の旅人突然後を向き
なめらかな舌を出した正午
ーー西脇順三郎「鹿門」
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人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「あむばるわりあ あとがき(詩情)」)
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この小径は地獄へゆく昔の道 プロセルピナを生垣の割目からみる 偉大なたかまるしりをつき出して 接木している
ーー西脇順三郎「夏(失われたりんぼくの実)」
オワカリダロウカ?
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もちろんブラックホールの引力は美人系のほうが効果はあるんだろうがね
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| トリュフォー『女たちを愛した男 L'Homme qui aimait les femmes』1977 |
とはいえーーここでも荒木に依拠すればーー《すべての女は美しい。「美人」は美しくない。「普通の女」にこそ「いい女」がいる》だよ。
で、いい女が放つオーラの正体はブラックホールに決まってるよ。
ちなみにブラックホール効果はこうすればいっそう出るからな、
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女性の好意は、段々に、ゆっくりとふり撒くことをおすすめする。プラトンは、いかなる種類の愛においても、言いよられた者はあっさりと性急に降参してはならないと言っている。そんなに軽率に、すべてを投げ出して降参するのは、がつがつしていることのしるしで、これはあらゆる技巧をこらして隠さなければならない。女性が愛情をふり撒くのに、秩序と節度を守るならば、一段とうまくわれわれの欲望をだまし、自分らの欲望を隠すことができる。いつもわれわれの前から逃げるのがよい。捕まえてもらいたい女性でもそうするのがよい。スキュティア族のように、逃げることによってかえってわれわれを打ち負かすのである。
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Je loue la progression et la lenteur dans la fa¸ con qu'ont les femmes de nous dispenser leurs faveurs. Platon nous montre que la facilité et la promptitude sont `a proscrire dans toutes les formes de l'amour. C'est un signe de gourmandise que de se livrer aussi complètement et témérairement, avec frénésie : les femmes doivent recouvrir cela avec toute leur adresse. En attribuant leurs faveurs de fa¸ con mesurée, ordonnée, elles piquent bien mieux notre désir, tout en cachant le leur. Qu'elles fuient toujours devant nous – et même celles qui comptent bien se laisser attraper. Elles viennent mieuxà bout de nous en s'enfuyant, comme le fai-saient les Scythes.
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(モンテーニュ『エセー』第三巻第五章「ウェルギリウスの詩句について」134節)
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女性の方々はこの教えを十全に守らないとな。がつがつしたらブラックホールの引力効果どころか、ヴァギナデンタータ効果が出ちまうよ。
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メドゥーサの首が女性器を代替するとき、いやむしろ女性器の淫欲効果から戦慄効果を分離させるとき、場合によって女性器の剥き出しは厄除け行為として知られていることを想起できる。[Wenn das Medusenhaupt die Darstellung des weiblichen Genitales ersetzt, vielmehr dessen grauenerregende Wirkung von seiner lusterregenden isoliert, so kann man sich erinnern, dass das Zeigen der Genitalien auch sonst als apotropäische Handlung bekannt ist. ]
恐怖を引き起こすものは、敵を追い払うのと同じ効果があろう。ラブレーにおいても、女にヴァギナを見せられて悪魔は退散している。[Was einem selbst Grauen erregt, wird auch auf den abzuwehrenden Feind dieselbe Wirkung äussern. Noch bei Rabelais ergreift der Teufel die Flucht, nachdem ihm das Weib ihre Vulva gezeigt hat. ]
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(フロイト『メデューサの首 Das Medusenhaupt』(死後出版1940 [1922])
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