2026年9月11日金曜日

集団でいじめっ子ムーブをする中年女性

 

なぜか(?)オープンレターの話が復活して炎上中らしいねぇ。その意味では「本何とかさん」は大いに貢献したんだよ。


いくつか見たなかでこのふたつがとても味わい深いな。






前者の「人文知の悪用」も愉快だが、後者の「集団でいじめっ子ムーブをする中年女性」というのはボクの脳髄の中に強烈な印象が残ってるなあ。

あのとき金子光晴のようにして嘆息しちゃったよ


テープ  金子光晴


女の心理がまんざら

みえないわけではないのだが、

それはさうだが、つまり、

處置がわからないのでさ、


うつかりとものを言つてさ、

こころとはまつたく別な、

つまらないことを口に出してさ、

とり返せないその言葉をさ、


女が膝にすべりおとした、

眞珠いろのおもい襟巻の、

その下に辷らせた細い手の、

その下のテープに錄音されてさ。



ま、より一般的に言えば、連中は「差別を学ぶ学校で勝ち抜いてきた者たち」なんだろうよ。つい最近記したところだがね。


これ以外に、少なくとも思春期以降、女たちは見られることで、成長していく筈だからな。


性的な身体を女性は見られることによって獲得していきます。女性にとって自己身体意識、あるいは自己身体イメージの獲得は、思春期以降、男性からかくあるべき身体として自分に付与される視線によって、その視線を内面化することによって獲得されます。(上野千鶴子 『性愛論』1991



見られるとは受動性だよ。だから男たち以上に受動性から能動性への反転があるんじゃないかね、


注目すべきなのは、能動性と受動性[ Aktivität zur Passivität ]の関係である。容易に観察されるのは、セクシャリティの領域ばかりではなく、心的経験の領域においてはすべて、受動的に受け取られた印象が小児に能動的な反応を起こす傾向を生みだすということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。

それは、小児に課された外界に対処する仕事の一部であって、苦痛な内容を持っているために小児がそれを避けるきっかけをもつことができた印象の反復の試みというところまでも導いてゆくかもしれない。


小児の遊戯もまた、受動的な体験を能動的な行為によって補い、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。

医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように、自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置を反復する。受動性への反抗と能動的役割の選択は疑いない[Wenn der Doktor dem sich sträubenden Kind den Mund geöffnet hat, um ihm in den Hals zu schauen, so wird nach seinem Fortgehen das Kind den Doktor spielen und die gewalttätige Prozedur an einem kleinen Geschwisterchen wiederholen, das ebenso hilflos gegen es ist, wie es selbst gegen den Doktor war. Eine Auflehnung gegen die Passivität und eine Bevorzugung der aktiven Rolle ist dabei unverkennbar.

(フロイト『女性の性愛』第3章、1931年)



能動性とは上にあるようにときに暴力性となるんだな。これは受動的状態に置かれざるを得ない女ーーもちろん男女とも乳幼児の段階では母に受動的状態に置かれるのだが、その後の成長段階で、すべての少女が、周りの大人の視線が子供を見る目から女を見る目に変わるという受け身の経験をしている筈で、男よりもいっそう能動性向、ときに暴力性発露の傾向を持ちがちだろうよ。


フロイトは「この受動性から能動性へ」の話を繰り返ししている。究極的にはマゾヒズムなる受動性からサディズムなる能動性へまで話を展開している。


もっとも、こんなややこしいことは言わずに、吉行のようにこう言ってもいいがね。

女はやさしい形をしているが、だからといって中身までやさしいとはかぎらない。軟らかくて力が弱くできているから、生き延びるためにはかえって内側は獰猛にできていることになるのは、理の当然と私は思っている。(吉行淳之介『男と女をめぐる断章』)



で、何が言いたいかというと、中年女性のいじめっ子ムーブはある程度はヤムエナイ、要する女の宿命みたいなものがあるだろうということだ。