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やっぱり「魂のこと」をするためにはある程度はマネーを貯えておかないとな。 |
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これまで幾たびも話したことだが、魂のことを始めなければならないと、子供の頃から私は考えていた。ハイ・スクールの生徒になると、それにかさねて折りかえし点ということを思うことになった。いったん魂のことを始めてしまえば、生きるための金銭を稼ぐことはできないのだから、その折りかえし点に到るまでに、死ぬまでの生活費を貯えておかなければ…… そのように子供じみたことを、切実に思い続けたものだ。(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部「揺れ動く」1994年) |
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「魂のこと」は何かといえば、「神のこと」とか「女のこと」とか等々、いろんな解釈があるがね |
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魂のことを追いかけて行くと、最終的には神に行きあたるわけでしょう?(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部「揺れ動く」1994年) |
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一般的に神と呼ばれるものがある。だが精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである[C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». ](Lacan, S23, 16 Mars 1976) |
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「魂のこと」が何を意味するかは人によるだろうが、何よりもまず重要なのは買収されないことだよ。 |
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「でも、いったい、なぜだい」ヴロンスキーは、権力をもっている数人の名前をあげた。「でも、なんだってこうした連中は独立心にもえていないというんだね?」「それはただ、あの連中が財政的に独立していないからさ。いや、生まれながらにして、持っていなかったからさ。まったく財産を持っていなかったんだね。われわれのように太陽に近いところで生まれなかったからさ。あの連中は金なり恩義なりで、買収することができる。だから、あの連中は自分の地位を維持するために、主義主張を考えだす必要があったわけさ。そのために、自分でも信じていない、この世に害毒を流すような思想や主義を振りまわすが、そうした主義もただ官舎とか、いくらかの俸給にありつくための手段なんだからね。あの連中のトランプの手をのぞいてみれば、それほど巧妙なものじゃない…ひょっとすると、ぼくはあの連中よりばかで、劣っているかもしれないが、しかし、ぼくがあの連中より劣っていなくちゃならんという理由も、べつに見あたらないね。ところが、ただ一つまちがいなく重大な長所は、われわれはあの連中よりずっと買収しにくいってことだよ。そういう人間が今とても必要なんだよ」(トルストイ『アンナ・カレーニナ』) |
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財政的に独立してない者はどうしたって買収の憂き目に逢うのは避け難いからな。 とはいえ厄介なのは《富というものはわれわれをつよくとらえる。われわれはこれを羨望し、かくして奴隷になってしまう。われわれが富をもつとなると、富はさらにいっそうよくわれわれをとらえる。それゆえ、われわれはなにかにつけかせぎたくなる》という相が必ずあることだ。ほとんどの人間はこの罠に嵌るよ。 ボクはバブル時代、「女のことをする」(?)ためにマネーをしっかり貯えておこうと決心してんだが、やっぱりこの罠に嵌ってしまって、酷い目に遭ったね。 さっきの富の話はアラン(Alain)ーーエミール=オーギュスト・シャルティエ(Émile-Auguste Chartier)の筆名ーーのプロポ「四つの徳」からだが、全文掲げとくよ。
いやあ実に懐かしい文だよ。アランはこの程度の長さのプロポをほとんど毎日書いた哲学教師だった。 もっともアランにはフロイト・ラカン的な無意識がないということもあるのだろう、ラカンは皮肉っているがね、《チョークの粉がつくる雲の中で教師然としているアラン[Alain dans son nuage de craie]》(ラカン「メルロポンティ追悼」AE176 )と。 とはいえ上の「四つの徳」は、アランのプロポのなかで最も好きなもののひとつだ。この徳は道徳ではなく倫理としたいところだね[参照]。つまり「四つの倫理」だ。 |