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2015年3月28日土曜日

「人間らしさ」の表出

陰ときに晴。雲低く溽暑甚し。午前医者を訪う。例の如く世話女房風年増看護婦、若く御侠な受付嬢、いずれの笑顔も可憐なり。

尿酸高値に復す。ひと月前七度なりしが本日は九度超なり。暑熱の季節故、麦酒過す日を重ねし首尾覿面ともいうべし。

暑くてなにもする気にならず。年増婦の低い声やら御侠娘の水べを渉る鷭の声に変化した声音に耳を傾けるのみ。

古義人は五十代の後半になっても続けているプール行きの電車で、古いタイプのカセットレコーダーを聴いている男が自分ひとりであるのに気がつくことがあった。たまに見つける中年男は、聴きながら唇を動かしている様子から、英会話テープを聞いているのだと見てとれた。この前までは、音楽を聴いている若い連中で充ちみちていた車内で、かれらはいま誰もが携帯電話に話しかけ、あるいはその表示板を見つめてこまやかな指の操作をしていた。ヘッドフォーンから洩れてうるわかったジンジンという音すら、古義人は懐かしく感じたのだ。ところがその現在になって、古義人は「ウォークマン」以前のカセットレコーダーを、水泳用具を入れたリュックサックにしのばせ、半白の頭にヘッドフォーンを載せているのである。そのような自分を、時代遅れの孤独な旧世代と感じるほかなかった。

旧式なモデルのカセットレコーダーは、吾良がまだ映画俳優だった頃、電機メーカーのコマーシャルフィルムに出演して、スポンサーからもらった製品だった。機械の本体こそありふれた長方形で、デザインの凡庸さも目立たなかったものの、ヘッドフォーンのかたちは、古義人が森のなかの子供であった時分、谷川で獲った田亀のようだった。使ってみて、あの何の役にもたたなかった田亀を、今になって頭の両側にしがみつかせているようだ、と古義人は感想をのべた。

しかし吾良は動ぜず、
――それはきみが、鰻や鮎をつかまえるだけの才覚のない子供だったということしかつたえない、といった。遅すぎる贈り物ではあるが、その気の毒な子供にこれをあげよう。田亀とでも名づけて、少年時のきみ自身を慰めるさ。

しかし吾良も、それだけでは古い友達で義弟でもある古義人への贈り物として趣向に欠ける、と思ったようなのだ。それが吾良のライフスタイルのひとつで、映画作りの力にもなった小物集めの才能を発揮すると、魅力あるジュラルミン製の小型トランクをつけてくれた。それには五十巻のカセットテープが収められてもいたのである。吾良の映画の試写会場で受けとり、持って帰る電車のなかで、白い紙ラベルにナンバーだけスタンプで押したカセットを田亀に入れてーー実際、そのように機械を呼ぶことになったーー。ヘッドフォーンのジャックを挿し入れる穴を探していると、つい指がふれてしまったか、テープを入れると再生が自動的に始まる仕組みなのか、野太い女の声の、ウワッ! 子宮ガ抜ケル! イクゥ! ウワッ! イッタ! と絶叫する声がスピーカーから響き、ぎゅう詰めの乗客たちを驚かせた。その種の盗聴テープ五十巻を、吾良は撮影所のスタッフから売りつけられて、始末に困っていたらしいのだ。

かつて古義人はそうしたものに興味を持つことがなかったのに、この時ばかりは、百日ほども田亀に熱中した。たまたま古義人が厄介な鬱状態にあった時で、かれの窮境を千樫から聞いた吾良が、そういうことならば、その原因相応に低劣な「人間らしさ」で対抗するのがいい、といった。そして田亀を贈ってくれたついでに、確かに「人間らしさ」の一表現には違いないテープをつけてくれたのだ、と後に古義人は千樫から聞いた。千樫自身は、それがどういうテープであるかを知らないままだったが……

古義人の鬱状態は、大新聞の花形記者から十年以上受けた個人攻撃のーーもちろん社会正義は背負った上でのーー引き起こしたものだった。本を読んだり文章を書いたりしている間はなんでもなかったが、夜更けに目ざめてしまったり、用事で外出して街を歩いていたりすると、確かに才能はある記者独特の、悪罵の文体が頭に浮かんで来る。こまかな気もつく性格の大記者は、どうにも汚らしい新聞用原稿紙の書き損じや、ファクスで送信されたゲラ刷りを小さく切って、その裏に「挨拶」を書きいれては、著者や雑誌記事を送って来る。つい覚えてしまうその片言隻語が浮んで来そうになれば、ベッドの中でも街頭でも、「人間らしさ」の表出において拮抗する正直な声を聴けばいい。不思議に気持がまぎれるよ、と吾良は古義人にもいったのだった。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』P10-13 黒字強調原文)