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2015年11月22日日曜日

「パリ同時多発テロ」と「オウム真理教」

すでに関心のある人は知っているだろうが、“As States Turn Away Refugees – All Paris Attackers Identified So Far are EU Nationals”、すなわち《各国が難民を追い返す中、今まで身元が判明しているパリの同時テロ実行犯はすべてEU国籍だったことが判明》という記事があり、その邦訳もある。一部を抜き出せば次ぎの通り。

これまでのところ、同事件で身元が明らかになった実行犯の全員は、実際にはEU国籍をもった市民だったのだ。

外国籍のパスポートが発見されたと広く報道されているが、エジプトのパスポートは犠牲者のもので、もう一つのシリアのパスポートとされていたものは実際には偽造パスポートであったことが明らかになっている。

今週、EUの外交長官Federica Mogheriniは、最近のテロ攻撃についてEUは「内部からの脅威」に直面していると話している。

Federica Mogheriniさん:「これまで特定されたテロ実行犯の人物像からは、これは内からの脅威の問題であったことがわかっている、ということを強調させてください。

今までわかった実行犯全員がEUの市民でした。時間と共に状況は変化する可能性がありますが、これはEU圏内の内部のセキュリティの問題であることは明白です」


これを元朝日新聞の編集委員であり、退社後中東に住まって取材活動をしている川上泰徳氏の記事と並べてみよう(「パリ同時多発テロを戦争へと誘導する未確認情報の不気味 - 川上泰徳 中東ニュースの現場から」)。

(ISの犯行)声明は襲撃を礼賛、祝福しているだけで、とても犯行声明とは呼べないというのが、私の評価である。

 このIS声明では、ISが実行したという決め手にならない。オランド大統領は「ISによる戦争行為」を宣言しても、事件とISの関係について決め手となるような材料が示されたわけではない。にもかかわらず、大統領の宣言を受けて、フランス軍は14日からイスラム国への報復的な空爆を開始した。

どうして川上泰徳氏はこのように ISの犯行声明は疑わしいと評価したのかは、この記事に書かれている。それは主にベイルートの自爆テロ(パリテロの前日)の犯行声明と比較しての推測であるが、わたくしには説得的である。

そして氏は次ぎのように結論づけている。

重要なのは、イスラム国の指令によるテロ作戦というよりも、フランスとその周辺国を含めたイスラム過激派組織による大規模なテロ作戦が実行されたという事実である。「イスラム国の指令」はあったとしても、二次的な要素である。

 どうも、この間の数日の報道や情報の流れを見ていると、「IS空爆」という戦争を激化させようとする政治的な意図のもとに、未確認情報が飛び出し、それによって世論操作が行われ、政治が動いているように思えてならない。その陰で、フランスや欧州の足下で重大な危機が広がっていくのではないかという危惧を抱かざるをえないのである。

ここで今回のパリテロをめぐる記事ではなく、いささか遡って 今年初めの「シャルリー・エブド事件」後の浅田彰 のコメントを思い出しておこう。

そこには《たとえばISもオウム真理教を巨大かつ強力にしたようなもの》(「パリのテロとウエルベックの『服従』」)とある。


川上氏の見解をくり返せば、《フランスとその周辺国を含めたイスラム過激派組織による大規模なテロ作戦が実行された》のであり、《「イスラム国の指令」はあったとしても、二次的な要素である》。

今回のパリテロは、「シャルリー・エブド事件」以上に、フランスとその周辺国を含めて存在する「オウム真理教」の仕業とみるのが妥当ではないか、というのが、これらの資料を並べて眺めた限りでのわたくしのいまのところの感想である。




誰かほかにそのようなことを言っていないかと探れば、今年の3月に、水島宏明法政大学教授(元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター)による「誰も言わない「オウム」と「IS」(イスラム国)の共通点」という記事があるので参照のこと。






最後にこうつけ加えておこう。

パリテロ攻撃の最大の犠牲者は難民自身である。そして本当の勝者は、「je suis Paris 」スタイルの決まり文句の背後にあって、どちらの側においてもシンプルに全面戦争を目指す愛国者たちだ。

これが、パリ殺人を真に非難すべき理由だ。たんにアンチテロリストの連帯ショウに耽るのではなく、シンプルな cui bono(誰の利益のために?)の問いにこだわる必要がある。

ISIS テロリストたちの「より深い理解」は必要ない(「彼らの悲しむべき振舞いは、それにもかかわらず、ヨーロッパの野蛮な介入への反応だ」という意味での)。彼らはあるがままなものとして特徴づけられるべきだ。すなわちイスラムファシストはヨーロッパの反移民レイシストの対応物だ。二つはコインの両面である。(Slavoj Zizek: In the Wake of Paris Attacks the Left Must Embrace Its Radical Western Roots、2015,11,16)

ジジェクは、イスラムファシストとヨーロッパの反移民レイシストはコインの両面であるとしているが、ここではジジェクの含意する文脈を(おそらく)はなれて次ぎのようにいっておこう。

ヨーロッパ内においてすでにEU国籍を獲得しているムスリムたち、いやそうでなくてもそこで生活の糧を築きつつあるムスリムたちの中には、自らの仲間であるだろう難民歓迎の心持を抱いていない連中もいるはずだ。難民が大挙して流入すれば、かりに些細な職であれ、彼らの既得権が脅かされるのだから。