須賀敦子の友人である神父のダヴィデの詩は、雨を待っていたので逆だが、同じように《ずっとわたしは待っていた》、この《ほんのすこしの涼しさを》。
ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを、
たくさんをねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。
ひと月前から雨量はすくなくなってはいた。だが3日に1度くらいはパラパラと降る。そして気温や湿度が下がらない。それに苛立っていた。
例年は大雨が何日か続き、その後、急に空気の肌触りが変わる。日本でいえば台風一過のあとのように。今年はそれがない。だが唐突に大気の感触が変わったのは同じであり、ただ今年は大雨の先触れがなかったということだ。
当地に住んでいて唯一日本の季節を想い起こさせるはこの季節だ。それは初夏の感覚。そう、五月の風が吹く。花が薫り立つ。
海外に住んでいるとこういった幸せは稀になる。
初夏の日差しが若葉に照りつけ枝が風に揺れている
季節がめぐってくるたびに何十年も見慣れた光景だが
その光景がぼくにもたらす感情はいつまでも新しい
(谷川俊太郎「なみだうた」より『モーツァルトを聴く人』)
Quế という名の小さな白い花が匂ってくる。木犀ほどではないがとてもより香りがする(オレンジジャスミン、和名月橘〔ゲッキツ〕、別名九里香)。
というわけで、ここではもうひとつ、薄田泣菫を引用してこの感触を愛でよう。
……晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答えなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐて、あたりの木立を透してそよそよと吹き入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、あけ放つた室々を腹這ふやうに流れて行つた。
晦堂は静かに口を開いた。「木犀の匂をお聴きかの。」 山谷は答へた。山谷はそれを聞いて、老師が即答のあざやかさに心から感歎したといふことだ。
ふと目に触れるか、鼻に感じるかした当座の事物を捉へて、難句の解釈に暗示を与へ、行詰つてゐる詩人の心境を打開して見せた老師の搏力には、さすがに感心させられるが、しかし、この場合一層つよく私の心を惹くのは、寺院の奥まつた一室に対座してゐる老僧と詩人との間を、煙のやうに脈々と流れて行つた木犀のかぐはしい呼吸で、その呼吸こそは、単に花樹の匂といふばかりでなく、また実に秋の高逸閑寂な心そのものより発散する香気として、この主客二人の思を浄め、興を深めたに相違ないといふことを忘れてはならぬ。……(薄田泣菫「木犀の香」)
この文章は最近出合ったのだが、こうもある。《匂は木犀の枝葉にたゆたひ、匂は木犀の東にたゆたひ、匂は木犀の西にたゆたひ、匂は木犀の南にたゆたひ、匂はまた木犀の北にたゆたひ、はては靡き流れて、そことしもなく漂ふうちに、あたりの大気は薫化せられ、土は浄化せられようといふものだ。 そして草の片葉も。土にまみれた石ころも。やがてまた私の心も……》
泣菫の匂を聴くとともにロラン・バルトの光を聴くをも想い起こしておこう。
……私の二番目の南西部は一つの地方ではない。一つの線、体験したことのある一つの道のりだ。パリから自動車できて(この旅はいく度も繰り返している)アングレームを過ぎると、ある兆で私は自分が家の敷居をまたいで、幼児期の郷里に入ったことを知らされる。それは、道の脇の松林、家の中庭に立つ棕櫚の木、地面に影をおとして人間の顔のような表情を映し出す独特の雲の高さ。そこから南西部の大いなる光が始まる。高貴でありながら同時に繊細で、決してくすんだり淀んだりしない光(太陽が照っていないときでさえ)。それはいわば空間をなす光で、事物に独特の色あいを与える(もう一つの南部はそうだが)というより、この地方をすぐれて住み心地のよいものにするところに特徴がある。明るい光だ、それ以外にいいようがない。その光はこの土地でいちばん季節のいい秋にみるべきだ(私はほとんど「聴くべきだ」といいたい。それほど音楽的な光なのだ)。液体のようで、輝きがあり、心を引き裂くような光、というのも、それは一年の最後の美しい光だから。(ロラン・バルト「南西部の光」)