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2016年2月17日水曜日

レジーヌ・クレスパンのシューマン

◆Schumann, Eichendorff Liederkreis Op 39 - 1. In der Fremde (Régine Crespin)





In der Fremde . 異郷にて

Aus der Heimat hinter den Blitzen rot   
Da kommen die Wolken her,          
Aber Vater und Mutter sind lange tot,    
Es kennt mich dort keiner mehr.        
Wie bald, ach wie bald kommt die stille Zeit,
Da ruhe ich auch, und über mir         
Rauscht die schöne Waldeinsamkeit,     
Und keiner kennt mich mehr hier.       


稲妻の赤くきらめく彼方,
故郷の方から,雲が流れてくる。
父も母も世を去って久しく
あそこではもう私を知るひともない。
私もまたいこいに入る,その静かな時が
ああ,なんとまぢかに迫っていることだろう,
美しい,人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ
ここでも私が忘れられる時が。 (訳:西野茂雄)


◆Sena Jurinac; "In der Fremde"; Liederkreis Op 39; R. Schumann




断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはだぶんシューマンである。彼は断章を「間奏曲」と呼んでいた。彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、《挿入された》ものであった。(『彼自身によるロラン・バルト』)

◆In der Fremde Accolade Ensemble



「シューマンの曲はどれもそうだけど、一つの曲の後ろ、というか、陰になった見えないところで、別の違う曲がずっと続いているような感じがするんだよね。聴こえていないポリフォニーというのかな。音楽を織物に譬えるとしたら、普段は縒り合わさった糸が全部見えている。なのにシューマンは違うんだ。隠れて見えない糸が何本もあって、それがほんのたまに姿を見せる。湖に魚がいて、いつもは深いところを泳いでいるんだけど、夕暮れの決まった時間だけ水面に出てきて、背鰭が湖に波紋を作り出す、というような感じ。そういうふうにシューマンは作っているんだよ」(奥泉光 『シューマンの指 』)

Accolade Ensembleは、あまり知られていないアンサンブルのようだが、ふだんきこえてこない音をいくらか歌っている印象を受け、それがわたくしにはとても美しい。

…………

レジーヌ・クレスパンのフォーレ:「河のほとりで Au bord de l'eau 」に魅せられて、他の曲もいくらか聴いてみたのだが、彼女の明るく透明な、そして粘らない歌唱にはホレボレする。そしてときおり消え入るようなその抑揚(冒頭のシューマンはことさらすばらしい。一箇所、Sena Jurinacがメゾフォルテで歌っている部分を、彼女はピアニッシモで歌っている)。

◆Regine Crespin Berlioz Les nuits d'ete 'Le spectre de la rose'