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たとえば、わたくしはグールドを聴いたからこそ、その同じ耳で過去に遡って他の演奏家のバッハを聴く。そして、ああ、ここにもグールドの先駆者がいるではないか、と感じることがある。だが、それは、ボルヘスの言い方にならえば。グールドがつくり出した過去なのだ(少なくともわたくしにとって)。
ここで、グールドがああいう風にだけは弾きたくないと言ったらしいフィッシャーの演奏のひとつを掲げておこう(オレは耳がわるいんだろうよ)。
ここで、グールドがああいう風にだけは弾きたくないと言ったらしいフィッシャーの演奏のひとつを掲げておこう(オレは耳がわるいんだろうよ)。
バッハの平均律なら何を聴いてもグールドの音が聴こえてくる気がきてならない、--というわけで、わたくしにとっては、グールドによって、それまでの重ったるいチェンバロ演奏でない平均律があることを十代に知ったというだけかもしれないが、やはり、彼は、《未来を修正すると同じく、われわれの過去の観念をも修正》した稀有な人物だったと思いたい。
とはいえ、グールド自らが影響を受けたというロザリン・テューレックには、もっとグールドがいる、いや、いすぎるぐらいいる。
ーーこれだけ、グールドがいすぎると、グールドを聴いておけばいいや、という気持ちになるから奇妙なものだ。
さて話をもとに戻せば、エリオットもボルヘスとほとんど同じことを言っている、《過去が現在によって変更される》と。
一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序全体がほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。(エリオット「伝統と個人的な才能」吉田健一訳)
《過去が現在によって変更される》のは、個人の歴史でも同じである。
過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)
今度は、なぜかマリオ・ペドローザが「鉄斎はゴヤ、セザンヌと共に十九世紀の世界三大画家の一人である」といった富岡鉄斎の画を掲げる。
何が絵の質を決めるのだろうか。それは客観的には決まらない。それは各人が古典との長いつき合いを通じて、次第に養ってきた絵画に対する一種の態度を唯一の拠りどころとして、みずから決めてゆくほかないものだろう。その態度は、人によってちがう。すなわち当人の個人的な面とも係わる。しかし全く恣意的に人によってちがうのではなく、全く個人的な面のみに係わるのではない。なぜなら個人を超える古典の総体が、それぞれの個人の感受性を特定の方向へ、いわば導くように作用するからである。その結果、ある時代のある文化のなかでは、古典とのながいつき合いを通ってきた個人の間に、芸術に対する態度の共通の枠組が成立する。その枠組こそは、芸術的趣味または価値の体系の「時代性」を示すだろう。個人の態度は、その枠組のなかで、それぞれちがいながら、同じ時代の特性を帯びるのである。
しかし評価することなしに創作することはできない。みずから絵を描くためには、みずから絵を評価しなければならない。画家が古典を必要とするのは、古典を模倣するためではなく、絵画を定義するためである。時代が急激に変わり、何を古典とするのか標準も急に変わってゆくときに、―――したがって絵画の定義そのものが不安定化するときに、仕事を完成しようとする画家には、何ができるだろうか。彼らは、彼ら自身の時代を無視してでも、前の時代から受けとった古典の全体とのつき合いを維持するほかない。それこそは、たとえばジョルジュ・ルオーの、あるいは富岡鉄斎の、創造的時代錯誤にほかならないだろう。(加藤周一『絵のなかの女たち』)
《個人の間に、芸術に対する態度の共通の枠組が成立する。その枠組こそは、芸術的趣味または価値の体系の「時代性」を示す》とある。我々は通常、この枠組みを通してのみ「美」を感じる、と当面読んでおこう。
それは、カントが言っている通り。
ある対象が美しいのは、その時代あるいは文化の規範に合致するから美しいのであり、対象の性質によるのではない、という意味だろう。
事実、黒人が「美しくなった」のは、20世紀半ばの写真や映像芸術のおかげではなかったか。もちろんそれはゴーギャンのおかげであるのも、我々は知っている。
ある時期から規範(カノン)が徐々にであれ変わったのだ。
それは、ルノワールによって、プルーストの時代には、《かつて女だと見るのを拒んだ》太った田舎娘たちが、ひどく美人に見え始めたように。
では、加藤周一のいう「創造的時代錯誤」を経た創造的破壊(規範の破壊)は天才たちの仕事だとして、我々凡人が彼らの作品に最初に遭遇したとき、どんなことが起こるのか? 《われわれの既成の観念のコレクションのなかには》、その作品を評価する観念がないような作品に対して。
今ひどく愛する作品で、最初に聴いたとき、「これが美しいのだろうか?」と感じたのは、ヴェーベルンだった。
なんだって、シェーンベルクさん、「ひとつの幸福をただ一回の息吹き」だって? そんなものどこにあるんだい、と感じたものだった。わたくしは、《きまじめにそれに耳を傾ける》たせいで、《この上もなく失望》を感じたのだ。
ある日、レコードではなくラジオから、突然遠くからやってくるように、この曲を耳にしたとき、寒いぼが立った。《ひとつの眼差しが一篇の詩として》襲ってきた。
経験的条件のもとでは、形態の美に関して黒人と白人とはそれぞれ異なる標準的理念をもつに違いないし、またシナ人はヨーロッパ人と異なる標準的理念をもつに違いない。そして美しい馬や美しい犬(それぞれ異なる種属の)の模範についても、事情はまったくこれと同様であろう。
美のかかる標準的理念は、経験から得られて一定の規則と見なされるような比例に基づくものではない、むしろこの理念に従って初めて判定の規則が可能になるのである。この標準的理念が則ち個体に関する直観─換言すれば、さまざまに異なる一切の個別的直観の遥曳するところの形象であり、これに対応するものは『類』の全体である。自然はかかる形像を、同一の『類に属する自然的所産の原型とした、しかし個々のものについては、この原型の完全な実現は見られないようである。要するに標準的理念は、人間という『類』における美の完全な原型そのものではなくて、およそ美の成立に欠くことのできない条件を成すところの形式であり、従ってまたこの『類』の表現における適正を示すにすぎない。この理念はポリュクレイトスの有名な『ドリュフォロス』が規則(カノン)と呼ばれたのと同じ意味において規則なのである。またそれだからこそ標準的理念は、個別的─性格的なものをいっさい含んではならないのである。もしそうだとしたらこの理念は『類』に対する標準的理念ではなくなるだろう。
標準的理念は、美によって我々に快いのではなくて、人間という『類』に属するものが美であり得るための唯一の条件に矛盾していないからこそ、快いのである。要するにかかる表現は正格というだけのことである。(カント『判断力批判』篠田英雄訳)
ある対象が美しいのは、その時代あるいは文化の規範に合致するから美しいのであり、対象の性質によるのではない、という意味だろう。
事実、黒人が「美しくなった」のは、20世紀半ばの写真や映像芸術のおかげではなかったか。もちろんそれはゴーギャンのおかげであるのも、我々は知っている。
ある時期から規範(カノン)が徐々にであれ変わったのだ。
それは、ルノワールによって、プルーストの時代には、《かつて女だと見るのを拒んだ》太った田舎娘たちが、ひどく美人に見え始めたように。
こんにちならよい趣味の人たりはわれわれに向ってこういう、――ルノワールは十八世紀の大画家である、と。しかし、そういうことを口にするとき、彼らは忘れているのだ、時を。すなわちルノワールが大芸術家としての待遇を受けるには十九世紀のただなかにあってさえ多くの時を必要としたことを。そのようにして世に認められることに成功するには、独創的な画家にしても、独創的な芸術家にしても、いずれも眼科医のような方法をとる。そんな画家とか芸術家とかが、絵や散文の形でおこなう処置は、かならずしも快いものではない。処置がおわり、眼帯をとった医師はわれわれにいう、ーーさあ、見てごらん。するとたちまち世界は(世界は一度にかぎり創造されたわけではない、独創的な芸術家が出現した回数とおなじだけ創造されたのだ)、われわれの目に、古い世界とはまるでちがって見える、しかも完全にはっきり見える。女たちが街のなかを通る、以前の女たちとはちがう、つまりそれはルノワールの女たちというわけだ。われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たちというわけなのだ。馬車もまたルノワールである、そして水も、そして空も。はじめて見た日どうしても森とは思えず、たとえば無数の色あいをもっているがまさしく森に固有の色あいに欠けているタペストリーのようだった、そんな森に似た森のなかを、われわれは散歩したくなってくる。そのようなものが、創造されたばかりの、新しい、そしてやがて滅びるべき宇宙なのである。その宇宙は、さらに独創的な新しい画家や作家がひきおこすであろうつぎの地質的大変動のときまでつづくだろう。(プルースト、ゲルマントのほう Ⅱ、井上究一郎訳)
今ひどく愛する作品で、最初に聴いたとき、「これが美しいのだろうか?」と感じたのは、ヴェーベルンだった。
これらの小曲の短かさが、すでに彼らの弁疏として充分に説得的なのだが、反面、この短さがかかる弁護を必要としてもいる。 かくも簡潔に自己表現するためには、どれほどの抑制が必要かを考えてみたまえ。ひとつひとつの眼差しが一篇の詩として、ひとつひとつの溜息が一篇の小説〔ロマン〕としてくりひろげられるにたりるのである。一篇の小説をただひとつの身振りによって、ひとつの幸福をただ一回の息吹きによって表わす。かかる凝集は、それにふさわしい自己憐憫(ぐちっぽさ)をたちきったところにしか、見出されない。 これらの小曲は、音によっては、ただ音を通じてのみ言い表わしうるものんだけが表現できるのだという信念を保持しているひとだけが理解できるのである……(作品九のスコア序文、シェーンベルクの序文)
なんだって、シェーンベルクさん、「ひとつの幸福をただ一回の息吹き」だって? そんなものどこにあるんだい、と感じたものだった。わたくしは、《きまじめにそれに耳を傾ける》たせいで、《この上もなく失望》を感じたのだ。
ある日、レコードではなくラジオから、突然遠くからやってくるように、この曲を耳にしたとき、寒いぼが立った。《ひとつの眼差しが一篇の詩として》襲ってきた。
そしていま、はたと考えられるのは、ラ・ベルマをきいた最初のときに私が快感をおぼえなかったのも、かつてシャン=ゼリゼでジルベルトを見つけだすときのように、あまりにも大きな欲望をもってラ・ベルマをききに行ったからであるということであった。この二つの失望のあいだには、おそらくそうした類似があるだけではなく、同様にもう一つの、もっと深い類似があったであろう。ある人物、ある作品(またはある演出)がきわめて個性の特徴の強いものであれば、そういうものがわれわれにきざみつける印象は特別のものになる。われわれはすでに自分で、「美」とか、「ゆったりとしたスタイル」とか、「パトス」とかの観念をつくってその場にやってくるのであって、実物であることにまちがいはないが平凡に見える才能と顔のなかに、既成の諸観念を、厳密にいえば、錯覚するのだといえるだろう、しかし、われわれの注意深い精神は、実物の形から抵抗を受けるのであって、精神はその形にたいする知的な等価物をつくりえず、その形から勝手のちがった未知のものをひきださなくてはならないのである。精神はある鋭い音、ある奇異な問いかけの抑揚をきく。精神は首をかしげ、「これが美しいのだろうか? ぼくが抱いているのは感嘆の念であろうか? これが色彩のゆたかさであろうか、気高さ、力強さであろうか?」と問いかける。そしてそんな精神に、またしても答えるのは、ある鋭い声であり、ある奇妙な質問調であり、ある未知の人間から受けるまったく物質的な、強圧的な印象であり、そこには、「ゆったりした解釈」を入れるためのどんな空間も残されてはいないのである。そして、そういう経験にぶつかるからこそ、それは真に美しい作品なのであって、われわれがきまじめにそれに耳を傾けるならば、当然それはわれわれをこの上もなく失望させることになる、なぜなら、われわれの既成の観念のコレクションのなかには、そういう個性的な印象にこたえるだけのどんな観念も存在しないからなのだ。(プルースト、ゲルマントのほう Ⅰ、井上究一郎訳)