1972年ごろのスチュワーデス(いまでは客室乗務員というらしいが)。
ーーああ、これもなんという写真のノエマ!
ある種の写真に私がいだく愛着について……自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム)と、ときおりその場を横切りにやって来るあの思いがけない縞模様とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥムと呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕〔ステイグマ〕》が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間」である。「写真」のノエマ(《それは=かつて=あった》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象である。(ロラン・バルト『明るい部屋』--「写真のエクスタシー」より)
わたくしは23歳で会社勤めに入ったとき(大学を1年留年している、あまりそうそうに働きたくなかったせいだ)、大阪の伊丹空港から長崎へと週に1度、場合によっては2度、飛行機を利用することが半年以上続いた。これは当時のこの会社では例外的なことで、突然、その会社の商品が前代未聞の大ヒットをして、その商品を作る主要工場が長崎にあったせいだ(わたくしはそれを管理する部門の一番下っ端だった)。
新入社員のことで、場合によっては日帰り、だがだいたいは長崎で一泊した。
これだけ何度も利用していると、スチュワーデスたちとは顔見知りになる。毎度、同じ女性乗務員に出会えるわけではないが、行きは始発便、帰りは最終便と決まっていれば、かなりの頻度で同じ顔ぶれに出会う。
夜、長崎に到いた場合は、泊まるホテルさえ一緒になる。で、何の話か。……食事ぐらいは何度も一緒にしたさ。左端のおねえさんみたいな、上質な大ぶりの皮のバックもってたな、グッチとかなんとか言ってたが。
……部屋に戻ろうとして、鍵穴にキーを差し込んでもなぜか部屋の扉は開かないんだ、よく見たら、〈彼女〉の部屋番号の鍵なんだな……
いやあ、懐かしい! それだけだよ。
《それは=かつて=あった》の悲痛な強調さ。
なぜか、フォーレが鳴ってくるよ、どうしたわけだろ?
Régine Crespin の澄み切った声のせいだろうか、
それとも「水のほとり Au bord de l'eau」にあったあの旅館のせいだろうか
あるいは、この切ない、やるせないシャンソンのせいだろうか
人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくとこもある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。(加藤周一『絵のなかの女たち』)