2016年4月4日月曜日

君たちのハインリヒ・ハイネ

なぜと言うに、一切の生ずるものは
滅してよいものです。

(……)

こうしたわけで、あなたがたが罪悪だの、
破壊だの、つづめて悪とおっしゃるものは、
みなわたしの分内のことです(ゲーテ、ファウスト、森鴎外訳)

…………

なぜか最近、わたくしの分内のメフィストフェレスがざわざわしていて調子がでない。

私はまったく平和的な人間だ。私の希望といえば、粗末な小屋に藁ぶき屋根、ただしベッドと食事は上等品、非常に新鮮なミルクにバター、窓の前には花、玄関先にはきれいな木が五、六本―――それに、私の幸福を完全なものにして下さる意志が神さまにおありなら、これらの木に私の敵をまあ六人か七人ぶら下げて、私を喜ばせて下さるだろう。そうすれば私は、大いに感激して、これらの敵が生前私に加えたあらゆる不正を、死刑執行まえに許してやることだろう―――まったくのところ、敵は許してやるべきだ。でもそれは、敵が絞首刑になるときまってからだ。(ハイネ『随想』――フロイト『文化への不満』から孫引き)

わたくしには、まあそれなりの家と、新鮮なミルクにバター、庭には大樹がすくなくとも何本かある。だが敵はいない。敵がいなくても、誰かを絞首刑にしたくなる、というのはどういうわけか?

ーー「楽しい日々の連続ほどたえがたいものはない」(ゲーテ)

人はこうたずねる、君たちはたった一人だけでもヨーロッパにとって物の数にはいる精神を指摘することができるか? 君たちのゲーテ、君たちのヘーゲル、君たちのハインリヒ・ハイネ、君たちのショーペンハウアーが物の数にはいったように? ――ただ一人のドイツの哲学者ももはやいないということ、これは、いくら驚いてもきりのないことである。(……)

ショーペンハウアーは、問題になる最後のドイツ人であって(――彼は、ゲーテと同じく、ヘーゲルと同じく、ハインリヒ・ハイネと同じくヨーロッパ的事変であり、だから、局地的な、「国民的」な事変であるばかりではない)、心理学者にとっては第一級の症例である。(ニーチェ『偶像の黄昏』)


《いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生をきびしく見た人ではない。》(ニーチェ『善悪の彼岸』竹山道雄訳)

◆Hélène Grimaud, Thomas Quasthoff - Schumann Dichterliebe




Hör’ ich das Liedchen klingen あの小唄が聞こえてくると(ハインリヒ・ハイネ)

かつて恋人が歌ってくれた
あの小唄が聞こえてくると、
僕の心はいっそ張り裂けてしまいたくなる
激しい苦痛で押しつぶされて。

暗く沈んだ憧れが
,僕を森の高いところへと駆り立て、
そこで 溶けて涙となる
僕のあまりに大きい悲しみは。


◆Barbara Bonney; "Hör ich das Liedchen klingen"; Dichterliebe; R. Schumann