2016年4月5日火曜日

「シニフィアン、それは享楽であり、ファルスはそのシニフィエに過ぎない」という命題

享楽の氾濫」かい? あれはジョークめかして記したのだけどーーこの話題はもうやめようとしてさーー、まあ、いいさ。きみがひつこくあのオッチャンの戯言に依拠してなんたら言ってくるなら、ひとつだけ具体的に記すよ。

…………

“le signifiant, c'est la jouissance, et le phallus n'en est que le signifié” (Lacan, S.19,1971-72).

“徴示素は悦であり,phallus はその被徴示にすぎない.”(小笠原晋也『ハィデガーとラカン』)

彼独特の訳語による訳だが、 一般に流通している訳語を使用すれば、「シニフィアン、それは享楽であり、ファルスはそのシニフィエに過ぎない」、となる。

ここで、ことさら訳語にこだわるつもりはない。「徴示素」、「悦」、「被徴示」、それぞれとてもすぐれた訳語だと思う。

ところで、彼はツイッターにても、ほぼ同じことをくり返している。それは、ジャック=アラン・ミレール批判の文脈においてだ(参照:2014.9.13)。


…… jouissance = réel. 悦 = 実在.この解釈に準拠しつつ,Jacques-Alain Miller はしばしば,A / J barré という学素を黒板に書いていました.A は,徴示素の場処としての他 A です.J は jouissance です.

三番目のものから検討すると,1971-72年の Séminaire ...Ou pire で Lacan はこう言っています: le signifiant, c'est la jouissance, et le phallus n'en est que le signifié.

徴示素は悦であり,ファロスはその被徴示にほかならない.」この命題は,我々の学素 a / φ barré を文字どおりに表言しています.a は,四つの言説においては le plus-de-jouir 「剰余悦」です.φ barré は,書かれぬことをやめない徴示素ファロスです.


意地悪く、「ファルスはそのシニフィエに過ぎない」が「ファロスはその被徴示にほかならない」に移行している理由を追及してもいいが、わたくしはどちらかというと慎ましいほうなので、やめておこう・・・

さて、わたくしはーー何度もくり返すがーーミレールファンでもなんでもない。ラカン派でさえない。もともとは、主にジジェクの文章を読むなかで、判然としない箇所を探ってみるということをしはじめただけだ。

ところで、小笠原氏が指摘している三つのミレール批判(一つ目と二つ目は、さきほどのリンク元を参照のこと)は、一般に流通しているーージジェクやフィンクなどによるーーラカン解釈とは正反対のものだ。

一つ目と二つ目は、明らかに、小笠原晋也氏の誤謬であり、そのうちの一つは、彼自らそれを認めているとしてよい。

それは、《le a est de l'ordre du réel 「a は,実在の位のものである」》にかかわる。

さて,誤謬や矛盾に陥ることを恐れずに,先に進みましょう.というのも,わたし自身,『ハィデガーとラカン』に書いたことが部分的に過っていたことに気づいたからです.それは特に,l'objet a est de l'ordre du réel という命題に関してです.

1965-66年の Séminaire XIII L'objet de la psychanalyse[精神分析の客体]の1966年1月5日の講義において Lacan は「a は,実在の位のものである」と初めて公式化します.

そして,この「実在」は,厳密に,1974-75年の Séminaire XXII RSI において Lacan が実在を ex-sistence と定義したとおりに取るべきです.(2015.7.12)

ーーま、これ自体、児戯に類する誤読だったのだが、大いなる誤謬の可能性を指摘されてから、一年近くかかってようやく認めている。

二つ目の誤謬は「とんでも」であり、ここでは言及しない。

だが三つ目はどうか? これは彼のハイデガー流ラカンの考え方の核心、 a / φ barré にかかわる。

「徴示素は悦であり,ファロスはその被徴示にほかならない.」この命題は,我々の学素 a / φ barré を文字どおりに表言しています

ところで、このセミネール19 の命題を、Geneviève Morel は次のように説明している。

ファルスは享楽のシニフィエである J/Φ ――、これが意味するのは、享楽において、我々は唯一、ファルスの意味作用をのみ獲得するということだ。これは、他の享楽が存在したり、主体によって経験されることをを止めることはない。だが、それは、意味作用の外部に、沈黙しており、したがって、指摘したり差異化するのは困難である、ということである。(Geneviève Morel Sexual Ambiguities, 2011)

Geneviève Morel の解釈が正しいであろうことの裏づけは、「二つの区分け:ファルス享楽 la jouissance phallique と他の享楽 l'autre jouissance」にて記した。

《Ça désigne ce qui dans la phrase est « l'autre » [jouissance] ?》と、Patrick Valas版(Staferla版)のセミネールⅩⅩにある« l'autre »が、「他の享楽」である。

ほかにも次ぎのような表現がある。

…il y a une jouissance

puisque nous nous en tenons à la jouissance, jouissance du corps

…il y a une jouissance qui est… si je puis m'exprimer ainsi parce qu'après tout, pourquoi pas en faire un titre de livre, c'est pour le prochain de la collection Galilée : Au-delà du phallus, ça serait mignon ça - hein ? - et puis ça donnerait une autre consistance au MLF. [Rires]

une jouissance au-delà du phallus, hein !

ラカンは、ファルスの彼方には Au-delà du phallusは身体の享楽 la jouissance du corpsがあると言っている。この「身体の享楽」が、「他の享楽」(すくなくとも、そのうちの一つ)である。

なぜ、小笠原氏があのような誤謬をしてしまうのかと言えば、彼は他の享楽をまったく掴んでいないからだ。それは、次のツイートが証する。

さて,ふたつめの問い,l'Autre jouissance について.改めて調べてみると,Lacan 自身は l'Autre jouissance という表現は使っていないようです.(2015.6.28)
@KAIE39 以前に提示した JȺ ≡ S(Ⱥ) と JȺ ≡ φ barré の二つの等価式は,わたしの誤読の産物として撤回します.なぜなら JȺ は jouissance du corps de l'Ⱥutre だからです.以前はこの corps 抜きに考えていました.(2015.8.03)


セミネール19の叙述に依拠して、自らの核心の考え方を示しているにもかかわらず、l'Autre jouissanceに無知であるとは!

セミネール19には、l'Autre jouissance では直接ないが、autre jouissance… という語が次ぎのように現われる。

……qui est cette racine du « pas toute » …qu'elle recèle une autre jouissance que la jouissance phallique, la jouissance dite proprement féminine qui n'en dépend nullement.(S.19)

他の享楽とは、結局なにか? それはまずはなによりも、象徴界(シニフィアンの世界)には存在しないーー言葉で言い表わせないーーが、機能するものである。

……ひとつの性と、(プラスアルファの)それに抵抗する非全体しかないの同じように、ファルス享楽と、プラスアルファのそれに抵抗する X しかない。もっとも、正しく言うなら、その X は存在しない。というのは、《ファルス的でない享楽はない[ il n'y en a pas d'autre que la jouissance phallique]》(S.20)から。この理由で、ラカンが謎めいた幽霊的「他の享楽」を語ったとき、彼はそれを存在しないが機能する何ものかとして扱った。(ZIZEK.LESS THAN NOTHING、2012,私訳)

ファルス享楽とは、たとえば性交時のオーガズムに代表されるように、象徴界の出来事である。だがそれ以外の享楽があるのだ。


そして、わたくしは、(a)やȺ のやや難解な概念ではなく、欲望と主体という基本的な概念でさえ、小笠原氏は、間違っているーー遠慮していえば、大いなる誤謬の可能性を指摘している。

それは、「ラカンのテキストの「痴呆的」解釈」、「今、エディプス期以後の精神分析学には誤謬はあっても秘密はない」などで記した。

以上。

…………

※追記

彼はすこし突っこんだ質問をすると、次のようにいう人物だよ




このテイタラクでありながら、次のようにも言うんだな






いやあ、それにしても、じつに興味ぶかい人物であるには相違ない。なにか、「ひどい症状」を抱えた人物とみるかぎりはね・・・