2016年9月30日金曜日

にたにた笑い grin としかめっ面 grimace

「まあ! にたにた笑いをしない猫なら何度も見たことがあるけれど」とアリスは思う、「猫のいないにたにた笑いなんて!こんな妙ちくりんなもの見たのは、生まれて初めてだわ!」

“Well! I've often seen a cat without a grin,” thought Alice; “but a grin without a cat! It's the most curious thing I ever saw in my life!”

…………

人間はひとつの構造、つまり言語の構造、-構造とは言語を意味するのですが-この構造が身体を分断することによって思考するのであり、そしてこの身体は解剖学とは何の関係もありません。ヒステリー者がそれを証明してくれます。構造という裁断機が魂にやってくると強迫症状が生ずるのであって、強迫症状とは魂が持てあまし、魂を途方に暮れさせる思考なのです。

魂にかんして、思考は不調和です。ギリシャ語のヌース神話であって、この迎合は世界、魂が責任を持っている世界(環境世界[Umwelt])に適ったものなのでしょうが、じつは、この世界は思考を支える幻想 fantasmeでしかありません。それもひとつの現実 réalitéには違いないかもしれませんが、現実界の顰め面 grimace du réel として理解されるべき現実 réalité です。(ラカン『テレヴィジョン』)


あら、しかめっ面ばかりの現実なんて! 
でも生垣に穴を開けたらしかめっ面なしの現実みられるわ

「ただ この子の花弁がもうちょっとまくれ上がってたら いうことはないんだがね」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)

まあ、あなたひょっとして噂の érotomanie、あの docteur Lなの? 
生垣の先には《欠如が欠けている le manque vient à manquer》(S.10)
とか言ってたあのひと?

それともポエットY かしら?

人々の妄想の鏡のなかですでにアリスの靴や靴下そして下着まで濡れているんだ(吉岡実「人工花園」 ) 

でもたとえ話じゃぜんぜんないのよ

人生の通常の経験の関係の世界はあまりいろいろのものが繁茂してゐて永遠をみることが出来ない。それで幾分その樹を切りとるか、また生垣に穴をあけなければ永遠の世界を眺めることが出来ない。要するに通常の人生の関係を少しでも動かし移転しなければ、そのままの関係の状態では永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「詩情」)

エロトマニアだと
生垣に穴開けても
シッポを落としちゃうだけなのかしら

トカゲの自傷、苦境のなかの尻尾切り。享楽の生垣での欲望の災難 l’automutilation du lézard, sa queue larguée dans la détresse. Mésaventure du désir aux haies de la jouissance(Lacan,E 853)

向うにはアリアドネがいるのにーー

まさに、ごくわすかなこと、こくかすかなこと、
ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ、
一つの息、一つの疾過、一つのまばたきーー
まさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。

静かに。――(ニーチェ「正午」)

スモモだってあるわ

この正午、……
トカゲも壁の割れ目にもぐり、
墓守ヒバリも見えない時刻なのに。
……
実もたわわなスモモの枝が
地面に向かってしなだれる。

――テオクリトス『牧歌(Idyllia)』

ねえ地獄ってどんなとこかしら?

この小径は地獄へゆく昔の道
プロセルピナを生垣の割目からみる
偉大なたかまるしりをつき出して
接木している(西脇順三郎)

きっと道を間違えたのよ

ラカンは道に迷ったことを、しかと示しうるかもしれない、と娘婿は自問した。
je me disais que je pourrais me faire fort de montrer que Lacan a perdu sa route(Miller,Les objets a dans l’experience analytique)