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2017年2月4日土曜日

「仮性の自閉症」という「疑似風土病」

「自閉症」増大という新自由主義のやまい」にコメントが入っているが、わたくしは専門家でなく、そして「自閉症」自体にはいままであまり興味がなかったということを示している。

かつまた何か新しいことを言いたいわけでもない。すべて引用した資料にもとづく憶測である。その憶測の仕方が悪いのか、あるいは文献に異議があるのかを示していただけないと返事のしようがない。

自閉症自体についてはあまり興味がなかったと記したが、不思議な現象についてはやや興味がある。


(現代の流行病「自閉症」)

そして次の文章をネット上から拾って訳出し提示した。

英国心理学会( BPS)と世界保険機関(WHO)は最近、精神医学の正典的 DSM の下にある疾病パラダイムを公然と批判している。その指弾の標的である「メンタル・ディスオーダー」の診断分類は、支配的社会規範を基準にしているという瞭然たる事実を無視している、と。それは、科学的に「客観的」知に根ざした判断を表すことからほど遠く、その診断分類自体が、社会的・経済的要因の症状である。その要因とは、諸個人が常には逃れえないものである社会的・経済的要因であり、犯罪・暴力・居住環境の貧困・借金などだが、人はそこに、仲間‐競争者を凌ぐように促す新自由主義的圧力を付け加えうる。(Capitalism and Suffering, Bert Olivier 2015,PDF)
私の見解では、若年層における自閉症の増大は伝統的な自閉症とはほとんど関係がない。それは社会的孤立増大の反映、〈他者〉によって引き起こされる脅威からの逃走の反映である。(ポール・バーハウ2009,Paul Verhaeghe, Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent,PDF)

以下の文はいままで引用していないが、これもわたくしの考え方のベースのひとつ。

子どもが何らかの理由で親に叱られた場合、子どもは親の言葉に何の返事もせずにじっとし て黙っている場合がよくあります。それは子どもが親の言葉に少しでも反応すると、それを きっかけに次々と親の言うことを聞いて親の論理に入っていかなければならなくなるからです。 ここで子どもは自分の特異性を守るために沈黙し、一種の仮性の自閉症で親に対抗してい るのだといえましょう。 (向井雅明『自閉症について』 2016年

これらから、新自由主義社会における自閉症診断の激増は、社会的な脅威による「仮性の自閉症」のせいではないかという仮説である。

ポール・バーハウ2009の文をもうすこし長く引用しておこう。

(新自由主義の)能力主義システムは、自らを維持するため、特定のキャラクターを素早く特権化し、そうでない者たちを罰し始めている。競争心あふれるキャラクターが必須であるため、個人主義がたちまち猖獗する。

また融通性が高く望まれる。だがその代償は、皮相的で不安定なアイデンティティである。

孤独は高価な贅沢となる。孤独の場は、一時的な連帯に取って代わられる。その主な目的は、負け組から以上に連帯仲間から何かをもっと勝ち取ろうとすることである。

仲間との強い社会的絆は、実質上締め出され、仕事への感情的コミットメントはほとんど存在しない。疑いもなく、会社や組織への忠誠はない。

これに関連して、典型的な防衛メカニズムは冷笑主義である。それは本気で取り組むことの失敗あるいは拒否の反映である。個人主義・利益至上主義・オタク文化 me-culture は、擬似風土病のようになっている。…表層下には、失敗の怖れからより広い社会不安までの恐怖がある。

この精神医学のカテゴリーは最近劇的に増え、製薬産業は莫大な利益を得ている。私は、若い人たちのあいだでの自閉症の診断の増大の中にこの結果を観察する。私の見解では、若年層における自閉症の増大は伝統的な自閉症とはほとんど関係がない。それは社会的孤立増大の反映、〈他者〉によって引き起こされる脅威からの逃走の反映である。(ポール・バーハウ2009,Paul Verhaeghe, Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent,PDF)

以上