2017年3月4日土曜日

口にしちゃいけないこと

それがほんとうに「彼」だったにしろ、

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ(中也)

との思いに襲われる・・・

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、 過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』1978

ーーであるにしろ、そのようにおのれをふるいたたせるためには、
できるだけ若いうちがいいのはまちがいない

ところで「知命の年」に燃料計をみるなんてのは早過ぎはしないだろうか

……今までは、自分は何年生きてきた、と積算してきた。自動車でいえば走行距離計を見ていたということか。その意味がぐっと減った。もし、あと何年生かせてもらえば、ここまで行けるだろう。これができるだろう。できなければそれでもよしという気持に変わった。ガス・メーターのほうを見るようになったという違いである。(中井久夫「知命の年に」『記憶の肖像』所収)

とっくに「知名の年」は超えたのだが、
そろそろ燃料計を見るようにしたほうがいいんだろうか

本当のことを言うとね、空襲で焼かれたとき、やっぱり解放感ありました。震災でもそれがあるはずなんです。日常生活を破られるというのは大変な恐怖だし、喪失感も強いけど、一方には解放感が必ずある。でも、もうそれは口にしちゃいけないことになっているから。(古井由吉「新潮」2012年1月号又吉直樹対談) 

燃料が切れる前に「世界崩壊」が起こってくれないもんだろうか

焼跡とひと口に言われるが、たとえば昭和二十年三月十日の江東深川大空襲の跡は、すくなくともその直後においては、焼跡と呼ぶべきでない。あれは地獄であった。同様にして広島長崎の原爆の跡も、すぐには焼跡とは呼ばない。(古井由吉「太陽」1989年7月号)
三月十一日の午後三時前のあの時刻、机に向かっていましたが、坐ったまま揺れの大きさを感じ測るうちに、耐えられる限界を超えかける瞬間があり、空襲の時の敵弾の落下の切迫が感受の限界を超えかけた境を思いました。(古井由吉『永劫回帰』「新潮」2012 年4 月号)
人は年を取っても、年を取らない日付がある。三月十一日がそれでしょう。私にとってはも うひとつ、三月十日という日付があります。六十七年前、東京の本所深川を中心とした一帯が大空襲により炎上した未明のことです。十万人に及ぶ犠牲者を出した。(古井由吉『言葉の兆し』2013年)
むこう千年とは言わず、百年という歳月を、近未来の危機として、つきつけられたことにな る。やがて七十五歳になるこの私が。いや、あと三十年ほどで世界は危機域に入る、と思えば今は幼い孫たちの顔が浮かぶ。(『言葉の兆し』2013年)

あと三十年ほどでは遅すぎる
せめて十年先にしてほしいもんだ

・近代の資本主義至上主義、あるいはリベラリズム、あるいは科学技術主義、これが限界期に入っていると思うんです。五年先か十年先か知りませんよ。僕はもういないんじゃないかと思いますけど。あらゆる意味の世界的な大恐慌が起こるんじゃないか。

・その頃に壮年になった人間たちは大変だと思う。同時にそのとき、文学がよみがえるかもしれません。僕なんかの年だと、ずるいこと言うようだけど、逃げ切ったんですよ。だけど、子供や孫を見ていると不憫になることがある。後々、今の年寄りを恨むだろうな。(古井由吉「すばる」2015年9月号)

なんで日本人ってあんなに「現実主義者」ばかりなんだろ

現実主義者ってのは、既存の体制がいつまでも続くと思い込んでいる最悪の夢想家のことさ。

国債長期金利が2%を超えたら一発だぜ、日本崩壊は。
日本崩壊を端緒に世界崩壊だって継起するかもな

最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」