2017年4月17日月曜日

まことに彼は神の子で「あった」

◆カール・リヒター、マタイ1958年版 "Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen"



◆リヒター、東京ライヴ1969年版




◆リヒター 1971年版第63曲

◆リヒター、1980年版第63曲

※ Herreweghe、2010年版第63曲

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合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)

カール・リヒターのマタイ第63曲B「まことに彼こそは神の子だった Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」が、しんにピアニッシモから始まって、《一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描》いて静けさのなかに回帰するのは、1969年の東京ライヴまでである。

フルトヴェングラーは、すでに失われてしまった何かを救出すること(Returng)、拘束力のある伝統が廃れようとしているときに失われつつあったものを取り戻すことに心を砕いていた。この救出の試みを成功させようとして、彼はやや過剰に祈りを込めて指揮棒を振ったが、その祈りが探し求めているのは、もはや直接的にそれ自体としては現前していないものなのだ。(アドルノ、Theodor W. Adorno, Bewahrer der Musik [Furtwängler])

リヒターは1970年代に入って、《やや過剰に祈りを込めて指揮棒を振》るのは、もはや自然にはできなくなったのである。それは文芸、思想においても、1970年代以降、もはや「偉大な」作品が稀有になってしまったのと同じである。すなわち、祈りの喪失、冥府からの途切れがちの声の消滅である。祈りを「感情過多」として敬遠する風潮がいつからか始まり、彼はその傾向に当惑して、しかもかつてのやり方が忘れられず、そのため過去の至高の緊張と静謐を失ってしまった。

唯一の例外でありうる第63曲でさえも、もはや祈りは許されないし、野暮ったく感じてしまう世界が1970年前後から始まったのである。

◆Bach -Furtwängler"Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen"1954年


ーーいやあ、これはちょっとやりすぎだよ、フルトヴェングラーさん! 

大規模な交響楽的クレッシェンドは、ロマン主義的なルバート、すなわち緩急の自由なテンポの扱いと同様に、作品内の有機的な形態の多様性と結びついている。特に後者は――これは楽譜への忠実さをどんなに口先だけで信条としていても、やはり現代の真の病いであり、劇場に発するものである――バッハでは厳しく徹底的に排除されなければならない。私が『マタイ受難曲』であえて行なっている唯一の例外が、「まことに、この人こそ神の子であった」という言葉にともなう大規模なクレッシェンドとデクレッシェンドである。私はこれを様式の上で弁護するつもりはないが、歌詞の内容を見事に表現するように思われ、それを断念する気になれない。これは私がカール・シュトラウベから受け継いだものである。(『フルトヴェングラー 音と言葉』)

わたくしは東京ライヴの「まことに私は神の子であった」が一番お気に入りであり、かつまた多くの箇所でこのライブに惹かれるが、残念ながらディスカウがいない。そのため通して聴くときは、1958年版を選ぶ。そもそもこの三時間あまりの、密度が極めて濃いリヒター1958年版の録音を通して聴くのは、五年に一度くらいで、それを昨日深更やってクタクタになってしまった。

いやあ、心臓に悪い。ひょっとしてもうすぐ死ぬかもしれない。

昨日はマタイ受難曲を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……(武満徹 1996年2月19日)

翌日、武満は亡くなる(1930年10月8日 - 1996年2月20日)。

…………

カール・リヒターは1926年生まれ(1926-1981)であり、1958年のマタイ録音時は、32歳だったことになる。

ここで第63曲の合唱に引き続く(レチタティーヴォ63曲cを経ての)第64曲、フィッシャー・ディスカウの名唱(1958年)をも貼り付けておこう。

◆マタイ第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに(Karl Richter、Fischer-Dieskau 1958)




ーーここだけ聴けば、滑らかすぎ甘すぎる、という人もいるだろうが、これは至高の1950年代のディスカウである。第63曲と、その直前の第62曲のピアニッシモのコラール(このコラールはマタイのなかで調をかえて何度も出現するがその最後のもの)ーー、このふたつの合唱の出現の一連の流れのなかにある曲であり、たとえば第58曲あたりから聴けば、このディウカウの声でなくてはならないとの「錯覚」に閉じ籠りうる(Karl Richter 1958第58曲より)。

(ディスカウはその後、このように歌いえた何かがあったかどうかは、よく知らない。シューベルト? 彼の真のシューベルトだって1950年代ではないか? 真のグレン・グールドが1950年代にいるのと同じで、1960年以降、世界はすでに変わっている。ジャズだってそうだ)。

最後にこう言っておいてもよい、すなわち、心臓の弱い方がマタイを聴くときは、Herreweghe 2010年版程度をおすすめする、と(第58曲より)。実はHerreweghe 2010年版のソプラノ歌手、欧米人にはめずらしく猫背で狸顔の美女 Dorothee Mields の大ファンなのである。彼女以外? さあて・・・

いずれにせよ、わたくしの見立てでは、女に限っては、1950年代も2010年代もつねに「神」であることにかわりがない。むしろ最近の女性はヒステリーの鎧がとれて裸の魂の震えが直に感じられる。現代、祈りを救うものは、そこにしかない。

「大他者の(ひとつの)大他者はある il y ait un Autre de l'Autre」という人間のすべての必要性。人はそれを一般的に〈神 Dieu〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に〈女 〉« La femme » だということである。 (ラカン、S23、16 Mars 1976)