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2017年8月5日土曜日

「腹部の狂愚」「胸部の狂愚」「精神の狂愚」

創唱宗教/自然宗教」にて、宗教学者の阿満利麿氏が『日本人はなぜ無宗教なのか』1996における二つの区分ーー自然宗教/創唱宗教ーーをめぐっていくらかの備忘をしたが、アランが「自然宗教/人間宗教/精神の宗教」の三区分をしているのを見出したので、まずはここに記す。


アラン『プロポ集』「人間の段階」杉本秀太郎他訳より

【自然宗教】
最も自然な、あるいはこういってよければ、最もふるい宗教は、自然宗教で、このものはきみがいったように、じじつ牡牛や蛇をあがめ、また火山や月や太陽をあがめる。この偉大な宇宙、八方からわれわれをとらえわれわれの生死をにぎり、しかもみずからはわれわれ以上にとかく考えたりしないこの宇宙は、まさしく恐れられ愛されるにふさわしいものだ。じじつ、このものは恐れられ愛されつづけて来た。詩人たちはいつになってもこのものを歌いつづけるだろう。クリスマス、復活祭、万霊祭は季節の祭であって、これには不信仰者などありうべくもない。だれしもめいめいが、ここでは汎神論者で、この偉大な魔力にしたがうのだ。

【人間宗教】
しかしまた、いついかなるところにも人間宗教というものがあった。このものは偉大な先人たちの記念のうちにきずかれるもので、前者の自然宗教にくらべ思想というものの刻印をいささか多くとどめている。自然宗教とは結局のところ動物的で、さらには植物的な本能たるものにすぎず、花に花をさかせ、鳥に巣をつくらせるとおなじものたるにすぎない。ところがここでは、人間は力あふれる人間範型を神とみなし、これに霊感をえて支配と征服へとむかう。この宗教は伝統、伝説、また服従によって酔う。この宗教も自然宗教におとらず熱狂的なものだ。しかし、感情はここではいっそう気だかい。ここでは、感情がやどるのは胸部であって、腹部ではない。そして、乱飲乱舞という腹部の狂愚があるように、また勇武という胸部の狂愚があり、これが怒りと勇気を一種の錯乱状態にまでたかめる。そして、自然宗教が詩によってたかめられ純化されうるように、この力の宗教は、自身の身体を統御しようという気だかい野心のよって地上の王たる、人間競技者をたたえるとき、それはうつくしい。そのうえ、勇気というものはつねにうつくしく、またいつになってもうつくしいであろう。祖国は英雄たちによって崇高である。また戦争とは死とのたたかいにほかならず、ここに敵どうしがたがいに尊敬しあい讃えあう。そして、あらゆる種類の人命救助となると、たしかにこのものはさらにいっそううつくしく、またあまねくたたえられている。もし人間がけもののように逃げるばかりであれば、人間はつまらぬものでしかなかろう。ここでは神とは人間なのであって、ヘラクレスであり、シーザーであり、レーニンなのだ。そして、どの国民もみずからおもうほど、そうたがいには分かれているものではない。ところで、この宗教はこれまた一個の自然宗教なのだ。というのは、偉大な人間たちとは力と征服者の謂なのだから。


【精神の宗教】
第三の宗教は、こうした偉大なものたちの根拠、すなわち精神にむかう。キリスト教がこれであって、このものは叡智のめがけるとおなじ諸目的にむかう。ただし、形象、礼拝、および至高の諸価値に対する直接感情によってである。人間の至高の価値とは自由な精神にほかならず、この第三の宗教が、権勢や支配や圧制の蔑視を力づよく肯定するかずかずの伝説、形象、象徴、範型によって意味するところは、まさにそれなのだ。自由な精神はけっして強制せずただたんに啓示する。自由な精神はけっしてはなやかな外観にだまされない。このものは権力の誘惑に抵抗する。このものは良識や勇気や正義をどこに見出してもそれをうやまう。このものは、およそ人間のかたちをしたもののうちにはすべてそれらがあるのだと想定して、けっして皇帝マルクス・アウレリウスと奴隷エピクテトスとのあいだに差別をもうけない。こうした点については、世の哲学者もすべて同意する。

しかし、精神の宗教は、十字架にかけられた神というあの言語道断の映像によって、哲学よりももっと力づよくかたった。ここでも、神とは人間にほかならない。ただし、権力や富とはかくも無関係な、その真の偉大さにおける人間である。のみならず、精神の宗教は哲学者たちがめったによくしなかったことをあえてする。この宗教は、いかなる種類のものであれ、すべて権力は精神をそこなうと、あえて表明するのだ。

ところで、この豊かな遺産はまったく純粋なものだというわけではない。これをきよめ、これに光輝あらしめるのは、われわれの仕事である。すくなくとも、低級な諸宗教はその本来の位置につきもどされる。抹殺されてしまうのではなく、従属させられるのだ。というのは、精神こそいっさいの審判官であり、そしてなにものも精神を審判することはできないのだから。自分の胸と腹をあまり尊重しすぎることなく、あまり軽蔑しすぎることなく、これをよく統御しうるものは幸いである。もし私のあやまりでなければ、かかる人こそ文明のための働き手なのだ。たしかに、人間性というものを形成することは、うつくしく、かつ困難な仕事である。そして、論議はいつになっても果てるべくもない。だが、親愛なる不信仰者よ、私がなぜ宗教というものは不合理な迷信の山とは全然ちがうものだときみにいったか、また親愛なる真の信仰者よ、なぜ祖国の宗教が、われわれの現実の諸宗教の構築のなかでまったく下級のものでも、まったく高級のものでもないといったか、以上口たらずながら説明した。私はつくりごとはしない。説明するだけだ。

…………

自然宗教/創唱宗教の二区分よりは明らかにすぐれている。だがここに欠けているものがあるとしたら、何か?

アランは自然宗教的「腹部の狂愚」と人間宗教的「胸部の狂愚」と言っている。だが「精神の狂愚」の指摘が欠けている。もっとも彼は精神の宗教、《この豊かな遺産はまったく純粋なものだというわけではない》と記しているのだから、そこに「精神の狂愚」を暗示しているという観点もあるだろう。

さてわたくしが言いたい「精神の狂愚」とは「理性の欲動」のことである。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

ジジェクはカントの名を出しているが「世界の夜」ともある。ここではヘーゲルを引用しよう。

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)

この「世界の夜」を見すえ、そこに留まることが精神の力を生む。これがヘーゲルの考え方である。

力なき美は悟性を憎む。なぜなら、悟性は、美にそれがなし得ないことを要求するからである。だが、死を前にしてしりごみし、破滅から完璧に身を守ろうとするような生ではなく、死を耐え抜き、そのなかに留まる生こそが精神の生なのである。精神が己の真理を勝ちとるのは、ただ、自分自身を絶対的分裂 absoluten Zerrissenheit のうちに見出すときにのみなのである。

精神がこの力であるのは、否定的なもの Negativen から目をそらすような、肯定的なものであるからではない。つまりわれわれが何かについて、それは何物でもないとか、偽であるとか言って、それに片をつけ、それから離れて、別のものに移って行く場合のようなものであるからではない。そうではなく、精神は、否定的なものを見すえNegativen ins Angesicht schaut、否定的なものに留まる verweilt からこそ、その力をもつ。このように否定的なものに留まることが、否定的なものを存在に転回する魔法の力である。(ヘーゲル『精神現象学』「序論」Hegel, Phänomenologie des Geistes, “Vorwort”、1807年)


ゆえに「精神の狂愚」を避け真の精神の力を得るためには、われわれ人間の誰にとっても内在する「腹部の狂愚」と「胸部の狂愚」を見すえることが肝要である、としてよいだろう。

カトリック教徒の大罪はこれを怠ったことである。

医療・教育・宗教を「三大脅迫産業」というそうだからひとのことはいえないが、罪や来世や過去の因縁などで脅かすことは非常に困る。また、自分の偉さやパワーを証明するために患者を手段とすることは、医者も厳に自戒しなければならないが、宗教者も同じであると思う。カトリックの大罪である「傲慢」(ヒュブリス)に陥らないことが大切である。(中井久夫「宗教と精神医学」初出1995年『精神科医がものを書くとき』所収)

わたくしはニーチェの『ツァラトゥストラ』の次の文、《わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。》 をこの文脈のなかで読む。

『反キリスト』を書いたニーチェは、じつは真のキリスト教徒である。すくなくとも次の文からはそう読める。

【十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的である】
――もとに話をかえして、私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。――すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解であるーー、根本においてはただ一人のキリスト教者がいただけであって、その人は十字架で死んだのである。「福音」は十字架で死んだのである。この瞬間以来「福音」と呼ばれているものは、すでに、その人が行きぬいたものとは反対のものであった。すなわち、「悪しき音信」、禍音であった。「信仰」のうちに、たとえばキリストによる救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしを見てとるとすれば、それは馬鹿げきった誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的なのである・・・今日なおそうした生は可能であり、或る種の人たちにとってはそのうえ必然的ですらある。真正のキリスト教、根源的キリスト教は、いかなる時代にも可能であるであろう・・・信仰ではなく、行為、なによりも、多くのことをおこなわないこと、別様の存在である・・・意識の状態、たとえば、信仰とか真なりと思いこむとかはーーいずれの心理学者も知っていることだがーー本能の価値にくらべれば完全にどうでもよいことであり、五級どころのことである。もっと厳密に言うなら、精神的因果性の全概念が誤りなのである。キリスト者であることを、キリスト者であるゆえんのものを、真なりと思いこむことに、たんなる意識の現象性に還元することは、キリスト者であるゆえんのものを否定することにほかならない。実際のところ一人のキリスト者も全然いなかったのである。「キリスト者」なるものは、二千年以来キリスト者と呼ばれているものは、たんに心理学的な自己誤解にすぎない。(ニーチェ『反キリスト者』筑摩文庫pp.222-223)


【自由、ルサンチマンのあらゆる感情を越えでた卓越性という、こうした死に方のうちにある模範】

――福音の宿業はあの死とともに決せられた、――それは「十字架」にかかったのである・・・死がはじめて、この予期もしない恥ずべき死がはじめて、一般にはたんに悪党をかえるためにのみ取っておかれた十字架がはじめて、――この最も身の毛のよだつパラドックスがはじめて、使途たちに本来の謎を提示した、「あれは誰であったのか? あれは何であったのか?」――動揺させられ、最も深い傷手をおった感情、そうした死はおのれたちの関心事の論駁であるかもしれないとの疑惑、「なぜまさしくこうであるのか?」との恐ろしい疑問符――こうした状態はあまりにもよく理解できることである。ここでは万事が必然的であり、意味を、合理性を、最高の合理性をもたなければならなかった。使徒の愛はなんらの偶然も知らないのである。いまやはじめて深淵が口を開いた、「彼を殺してしまったのは誰か? 彼のほんとうの敵は誰であったのか?」――こうした問いが閃光のごとくひらめいたのである。答え、支配権をにぎっているユダヤ人ども、その最上流階級。この瞬間以来彼らはおのれたちが秩序に反抗する叛乱のうちにあると自覚し、その後はイエスをも秩序に反抗して叛乱をくわだてたと解した。そのときまでは、こうした戦闘的な、こうした否と断言し、否を実行する特徴はイエスの像のうちにはなかった。それどころか、彼はこうしたこととはあいいれなかった。明らかにこの小さな集団はまさしく主要な点を理解していなかった、自由、ルサンチマンのあらゆる感情を越えでた卓越性という、こうした死に方のうちにある模範を、――これこそ、総じて彼らがイエスをいかに少ししか理解していなかったかを示す一つの目じるしである! 本来イエスがその死でねがったのは、おのれの教えの最も強力な証拠を、証明を公然とあたえるということ以外の何ものでもありえなかった・・・しかし彼の使徒たちには、この死を容赦することなど思いもおよばなかった、――そうすれば、最高の意味で福音的であったであろうに。ましてや、心の柔和な好ましい平安のうちでイエスと同じ死にわが身を提供することなど思いもおよばなかった・・・まさしくこのうえなく非福音的な感情が、復讐が、ふたたび優勢となった。事態がこうした死でけりがつくことなどありうべからざることであった。「報復」が、「審判」が必要となったのである(――しかし、「報復」、「罰」、「審判」にもまして非福音的なものがなおありえようか!)。もういちど俗うけするメシアの待望が前景にでてきた。歴史上の一瞬間が注視された、「神の国」はその敵を審くために来るというのである・・・しかしかくして万事が誤解されてしまった、終幕としての、約束としての「神の国」とは! だが、福音とはまさしく、この「国」の現存、実現、現実であったのだ。まさしくそうした死こそこの「神の国」であった。いまやはじめて、パリサイ人や神学者に対する軽蔑や反感の全部が師の類型のうちへともちこまれた、――かくして師その人が一箇のパリサイ人、神学者にでっちあげられた!  他方、これらまったくの支離滅裂におちいった者どもの狂暴となった崇拝は、イエスが教えたところの、誰にも神の子たるの資格をあたえるあの福音的な平等観はもはや我慢できなくなった。彼らの復讐は、法外な仕方でイエスを持ちあげ、おのれたちから引きはなすことであったのである。あたかも、以前ユダヤ人がその敵たちへの復讐からその神をおんれたちから引きはなして、高所に持ちあげてしまったのとまったく同様である。ただ一つの神とただ一人の神の子、この両者こそルサンチマンの所産である・・・((ニーチェ『反キリスト者』文庫pp.222-223)pp.224-226)