このブログを検索

2017年9月5日火曜日

大いなる日

よく希っていれば、望みはかなうねえ! それもまだ僕たちが若さを失ってしまわないうちに! (大江健三郎「大いなる日に」第一章『燃え上がる緑の木』第三部)

ついに望みがかなったのである。若さをいささか失ってしまっているのは認めざるをえない。だがほんとうに望みがかなったのである・・・

女は鳩の足でやってきた。最も静かな時間に。




鳩が横ぎる。ツァラトゥストラの第二部のまさに最後で。「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」。

最も静かな時刻は語る。私に語る。私に向けて。それは私自身である。私の時間。私の耳のなかでささやく。それは、私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi。私のなかの他者の声のようにcomme la voix de l'autre en moi。他者の私の声のように comme ma voix de l'autre。(デリダ、2004、Le souverain bien – ou l’Europe en mal de souveraineté La conférence de Strasbourg 8 juin 2004 JACQUES DERRIDA

だが彼女は鳩ではない。狼だった。これこそわたくしの希ったものだ。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin の名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」1884年)


《……今われわれはどこにいるのか? あれは鳩のようではない…とりわけ鳩の足ではない。そうではなく「狼の足で à pas de loup」だ…》(デリダ、2004)

僕ハ、ズット、コノヨウナ性交ヲ夢見テイタヨ。コレマデズット、ズット…… 生レル前カラ、ズット、ダッカカモ知レナイホド。(大江健三郎「大いなる日に」第二章)



娘ノ扮装ヲサセテ若衆ニ鶏姦サレルコト……、アルイハ娘ニ張形ヲツケサセテ鶏姦サレルコト (同「大いなる日に」第五章)