「キャッと叫んでロクロ首」(牧野信一)になる経験がなければ紳士ではない、という意味合いのことを吉行淳之介は言ったが、わたくしにとっては、10代前半のヨクアツされた記憶をすこしだけほじくり返すだけで、後年紳士になる必然性に満ち溢れている。前回やや曖昧に14歳時のことを記したが、あれはほぼ紳士になりつつあるなかでの経験であり、たいしたことない。それ以前である、真の「ロクロ首」で溢れ返っているのは。
ーー何故ボクハアンナニ変ダッタノダロウ?
・・・いやいや、あの時代のことだけは口を閉ざさねばならぬ。
ところで皆さんは、真夏の真夜中、真っパダカになって夜道をこっそり歩くととってもキモチガイイのを御存知だろうか。ボクハ全ク知ラナイガ、世界と交接、いやシツレイ、世界と交感している気がするらしい・・・もちろんキモチガイイのは深夜だけには限らないだろうが、《淡い水色の空の彼方は徐々に夜に呑み込まれようとして微かに震えている》(金井美恵子『岸辺のない海』)黄昏時の、樹木が生い茂った密やかな場ーー実家から歩いて五分のところにありカップルの密会場所のようになっていた城跡公園で、真っパダカになるというわけにはいかない。せいぜいズボンのチャックを下ろしてオチンチンを出して歩くのがオソラク関の山であろう・・・
もちろんそうすれば、自ずとかたつむりの通った跡が、灌木の茂みに頻りに見られるようになる(筈デアル)。
⋯⋯⋯どうも調子がでない。はやいところ「ロクロ首」光景の蓋をセネバナラヌ・・・
ああ、私はルーサンヴィルの楼閣に哀願したけれども空しかったーーコンブレーの私たちの家のてっぺんの、アイリスの香がただよう便所にはいって、半びらきの窓ガラスのまんなかにその尖端しか見えないルーサンヴィルの楼閣に向って、その村の女の子を私のそばによこしてほしい、とたのんだけれども空しかったーーそしてそこにそうしているあいだに、あたかも何か探検をくわだてている旅行者か、自殺しようとする絶望者のような、悲壮なためらいで、気が遠くなりながら、私は自分自身のなかに、ある未知の道、死の道とも思われた一つの道をかきわけていた、そしてそのあげくは、私のところまで枝をたわめている野性の黒すぐりの葉に、あたかもかたつむりが通った跡のように見える、自然に出たものの跡が、一筋つくのであった。(プルースト『スワン家のほうへ』)
⋯⋯⋯どうも調子がでない。はやいところ「ロクロ首」光景の蓋をセネバナラヌ・・・
しかしあのときのミモザの茂み、靄に包まれた星、疼き、炎、蜜のしたたり、そして痛みは記憶に残り、浜辺での肢体と情熱的な舌のあの少女はそれからずっと私に取り憑いて離れなかった──その呪文がついに解けたのは、二四年後になって、アナベルが別の少女に転生したときのことである。(ナボコフ『ロリータ』)