おやつのときの、つめたい砂糖入りミルク。古い白い茶碗の底に、陶器のきずがひとつあった。かきまわすときにスプーンに当たったものはそのきずだったか、それとも、溶け残りか洗い残しの砂糖のこびりついたものだったろうか。(『彼自身によるロラン・バルト』「想起記述 anamneses」)
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姉妹の言い争いの声がきこえてくる。どうも具合が悪い。隣のバルコニーに飛び移る。洗濯干しが音を立てたが大過ない(パンティがぶらさがっているハンガーが落ちただけで、丁重に元にもどした)。幸運にも隣室の住人は在宅で、ガラス戸から拝んで入れてもらう。
少女は戸惑いつつもニヤニヤしている。大柄な友人もいる。「珈琲でも飲んでいって、せっかくだから」。一人は大胆にも床の上で(花札でもやるように)アグラをおきかになられてボクの正面で微笑み昂然とされている。ストッキングなしの短いスカートでの姿態である、--「途中だったのでしょ」
度々聞き耳をお立になられていたらしい。道祖神はクライマックスで規則正しい声を三つか四つ間歇的に発するタチだった。「今日は鳥のいのちが果てる三連符がなかったから」。実に教養豊かな女性で感心した。
八千矛神よ、この私はなよなよした草のようにか弱い女性ですから、私の心は浦や洲にいる鳥と同じです。いまは自分の思うままにふるまっている鳥ですが、のちにはあなたの思うままになる鳥なのですから、鳥のいのちは取らないでください……(高橋睦郎『古事記』現代語訳)
兎角するうちに、一人のお嬢さんは果敢にも《溶け残りの砂糖のこびりついたもの》を熱心にかきまわされ、別のお嬢さんは眼を閉じ眼を開らかれた。