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2017年12月2日土曜日

想起記述Ⅲ

性交中、別の男の名を呼ぶ女がいた。

京都に住んでいた時代のことである。道祖神は大学院に居残って東京住まいのままだった。月に一度規則正しく京都に訪れる。ボクは別に性交相手を探す必要があった。

女は古ぼけたビルの三階にあるアパート住んでいた。千本通と今出川通の角のすこし手前。西陣のかつての繁栄のわずかな残照の漂うエリアである。近くにすっぽん料理で名高い店があった。

蒼白い蛍光灯のわずかな光のなか、窓のない索然とした廊下が伸びている。この、奇妙にもひどく広い通路の一方の側にだけ部屋が並んでいる。部屋を二間伸ばしてもまだ余裕がある広さだ。別の用途でつくられた建物を貸し部屋に改装したに相違ない。

同じ会社に勤める女だった。

「今から行く」と電話で告げる。「だめだわ」と強く拒絶する。だがボクはサクランボを土産に彼女の部屋の扉を叩く。女はドアチェーンがかかったままの扉をあけ、顔をわずかに覗かせる。「果物買ってきたんだ、一緒に食べよう」

狭い部屋だ、ベッドしか坐るところがない。チェリーを食べながら話をきく。女は白ワインを出してくつろぎだす。女の恋人は米国に留学しているらしい。

・・・「彼だって遊んでるわ、きっと」

腰の張っていない幼女のような軀。だが女は睾丸の袋を念入りに甞める。ボクはその口戯の巧みさに驚嘆する。それまで陰茎を咥えられるのしか知らなかった。女は肛門にも舌を伸ばす。

挿入すると最初から高い声をあげる。一腰突くたびにさらに声が高まっていく。腰の動きをとめて隣室に目配せする、「かまわないわ」「⋯⋯」「向こうからだっていつもきこえてくるんだから」ーー恋人の名を何度か呼んで果てる。

女はボクに告げる、「あなたのものになったと己惚れないで」

その後も電話をしては拒絶されることが繰り返された。訪れても部屋の中に入れたのは三度に二度ほどだったか。あの手この手で懇願した。寮の風呂が汚くて入る気がしないからシャワーだけでも貸してくれ等々。廊下で長い間待ちぼうけを食ってようやく入るということもあった。それが半年ほど続いた。

母が死んだ。郷里の町にしばらく帰る。道祖神が葬儀に訪れる。親族たちが彼女に親密な眼差しを送り挨拶をかわしている。

桂離宮の傍らの森閑とした寮に戻ってくる。千本の女からの分厚い手紙が郵便受けにあった。綿々と悼みの言葉が連なっている。ふだんの驕慢さの翳は微塵もなく、むしろ幼さが滲みでているとの印象をおぼえた。

あるとき恋人が一時帰国したそうだ。千本の女は仕事の席で耳打ちする、「彼かわっちゃったわ」。湿った瞳ですくい上げるようにボクを見る。女はもう拒絶しなくなった。果てるとき男の名も呼ばない。するとボクの恋も冷めた。

別の名を呼ぶ女は美しかった。


別 の 名   高田敏子

ひとは 私を抱きながら
呼んだ
私の名ではない 別の 知らない人の名を

知らない人の名に答えながら 私は
遠いはるかな村を思っていた
そこには まだ生れないまえの私がいて
杏の花を見上げていた

ひとは いっそう強く私を抱きながら
また 知らない人の名を呼んだ

知らない人の名に――はい――と答えながら
私は 遠いはるかな村をさまよい
少年のひとみや
若者の胸や
かなしいくちづけや
生れたばかりの私を洗ってくれた
父の手を思っていた

ひとの呼ぶ 知らない人の名に
私は素直に答えつづけている

私たちは めぐり会わないまえから
会っていたのだろう
別のなにかの姿をかりて――

私たちは 愛しあうまえから
愛しあっていたのだろう
別の誰かの姿に託して――

ひとは 呼んでいる
会わないまえの私も 抱きよせるようにして
私は答えている

会わないまえの遠い時間の中をめぐりながら