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2017年11月29日水曜日

ヒステリー的身体と女の身体

私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ

ーー伊東静雄「晴れた日に」

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厳密な分析的観点からは、事実上、一つの性あるいはセクシャリティしかない。(⋯⋯)

性は二つではない。セクシャリティは二つの部分に分かれない。一つを構成するのでもない。セクシャリティは、「もはや一つではない no longer one」と「いまだ二つではない not yet two」とのあいだで身動きがとれなくなっている。(ジュパンチッチ 2011、Alenka Zupančič Sexual Difference and Ontology
性関係において、二つの関係が重なり合っている。両性(男と女)のあいだの関係、そして主体と⋯その「他の性」とのあいだの関係である。(ジジェク 、LESS THAN NOTHING、2012)
「他の性 Autre sexs」は、両性にとって女性の性である。「女性の性 sexe féminin」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である。 (ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm)

以上の文より、おそらく次のように置ける。




①一段目の「他の身体」とは次の文に依拠する。

ひとりの女は…他の身体の症状である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. (ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975)


②二段目は性別化の式から。



大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre、それを徴示するのがS(Ⱥ) である …« Lⱥ femme 斜線を引かれた女»は S(Ⱥ) と関係がある。…彼女は« 非全体 pas toute »なのである。(ラカン、S20, 13 Mars 1973)


③三段目は次の三文を掲げる。

非全体の起源…それは、ファルス享楽ではなく他の享楽を隠蔽している。いわゆる女性の享楽を。…… qui est cette racine du « pas toute » …qu'elle recèle une autre jouissance que la jouissance phallique, la jouissance dite proprement féminine …(LACAN, S19, 03 Mars 1972)
ひとつの享楽がある il y a une jouissance…身体の享楽 jouissance du corps である…ファルスの彼方Au-delà du phallus…ファルスの彼方にある享楽! une jouissance au-delà du phallus, hein ! (Lacans20, 20 Février 1973)
男性は、まったく、ああ、ファルス享楽 jouissance phallique そのものなのである。l'homme qui, lui, est « tout » hélas, il est même toute jouissance phallique [JΦ](Lacan,La troisième,1974)


④四段目はミレールの次の図に依拠する(Orientation lacanienne III, 8. Jacques-Alain Miller Première séance du Cours (mercredi 9 septembre 2005、PDF)




後期ラカンにおいては「症状」は「サントーム」として扱っている場合が多いので注意する必要がある。

症状(原症状=サントーム)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE.569、1975)
女性の享楽は、純粋な身体の出来事である。la jouissance féminine est un pur événement de corps (ミレール2011, L'Etre et L'Un)

ーー以上、いままで記してきたことの簡略版だが、これが必ずしも「正しい」とは言わない。常に別の解釈がありうる。

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以下、Florencia Farìas の「ヒステリー的身体と女の身体 Le corps de l'hystérique – Le corps féminin」(2010.PDF)から。

女性性をめぐって問い彷徨うなか、ラカンは症状としての女 une femme comme symptôme について語る。その症状のなかに、他の性 l'Autre sexe がその支えを見出す。後期ラカンの教えにおいて、症状と女性性とのあいだの近接性 rapprochement entre le sinthome et le féminin が見られる。

女la femme は「他の身体の症状 le symptôme d'un autre corps」であることに同意する。…彼女の身体を他の身体の享楽に貸し与えるのである elle prête son corps à la jouissance d'un autre corps。他方、ヒステリーはその身体を貸さない l'hystérique ne prête pas son corps。

ーーここでのヒステリーは、通念としてのヒステリーではなく、なによりもまずファルス秩序(象徴界・言語秩序)の住人にかかわる。《ふつうのヒステリーは症状はない。ヒステリーとは話す主体の本質的な性質である》(GÉRARD WAJEMAN、The hysteric's discourse)

ファルス享楽 jouissance phallique [JΦ] とは身体外 hors corps のものである。 (ファルス享楽の彼岸にある)他の享楽 jouissance de l'Autre [JA] とは、言語外hors langage、象徴界外 hors symbolique のものである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

そして、女の身体とは、象徴界外・言語外の身体、冒頭近くの図における「他の性」「他の身体の症状」ということである。

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私は言ひあてることが出来る
命ぜられてある人 私の放浪する半身
いつたい其処で
お前の懸命に信じまいとしてゐることの
何であるかを