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2018年3月31日土曜日

この知らないイマージュは何だろ

ゴダールは、『(複数の)映画史』2Aで、デュラスやトリュフォーが絶賛したらしい、チャールズ・ロートン唯一の監督作品 『狩人の夜』の、殺人鬼ハリ ーに追われる幼い兄妹が小舟で逃れるシーンを、『映画史』では珍しいぐらい長く引用している(以前から美しいシーンだとは思っていたのだが、このシーンが『狩人の夜』からであるのは、数日前知った)。

◆ The Night of the Hunter - River Boat Scene BY CHARLES LAUGHTON - 1955




ーーこの箇所はたしかにこよなく美しいが、全編をみようとしたら、途中で退屈してしまった・・・音楽もコトバも邪魔になってしまう。わたくしはもはや長い「物語」映画を忍耐強く観る能力が欠けている。

ゴダールは、ボードレールの「旅の誘い」を読むジュリー・デルピー Julie Delpy の姿とのモンタージュの形で引用している(『狩人の夜』自体、今みると、前後の映像を移動させているようだ)。





ゴダールは1987年に、《ふと、知らないメロディを聞いて、ああ、これは何だろうと惹きつけられることがあるでしょう。それと同じように、美しい映像に惹きつけられて、ああ、これは何だろうと人びとに思ってもらえるような映画を作ってみたい》と言っているが、「俳優」チャールズ・ロートンによる『狩人の夜』の幼い兄妹の舟のシーンとは、映画を多く観ているわけではないわたくしには、まさにそれだった。




連中は何もいうことがないので、名前だけでものをいうのです。テレビは、対話というか、そうした話題をめぐって話をする能力を確かに高めはしました。だが、見る能力、聴く能力の進歩に関しては何ももたらしていない。私が『リア王』にクレジット・タイトルをつけなかったのはそのこととも関係を持っています。

ふと、知らないメロディを聞いて、ああ、これは何だろうと惹きつけられることがあるでしょう。それと同じように、美しい映像に惹きつけられて、ああ、これは何だろうと人びとに思ってもらえるような映画を作ってみたいのです。しかし、名前がわからないということは人を不安におとしいれます。新聞やテレビも、一年間ぐらい絶対に固有名を使わず、たんに、彼、彼女、彼らという主語で事件を語ってみるといい。人びとは名前を発音できないために不安にもなるでしょうが、題名も作曲者もわからないメロディにふと惹きつけられるように、事件に対して別の接し方ができるかもしれません。

いま、人びとは驚くほど馬鹿になっています。彼らにわからないことを説明するにはものすごく時間がかかる。だから、生活のリズムもきわめてゆっくりしたものになっていきます。しかし、いまの私には、他人の悪口をいうことは許されません。ますます孤立して映画が撮れなくなってしまうからです。馬鹿馬鹿しいことを笑うにしても、最低二人の人間は必要でしょう(笑)。(ゴダール「憎しみの時代は終り、愛の時代が始まったと確信したい」(1987年8月15日、於スイス・ロール村――蓮實重彦インタヴュー集『光をめぐって』所収)