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2018年3月28日水曜日

全芸術論の核としての「無意識の再記憶 ressouvenirs inconscients」

《私は作品の最後の巻――まだ刊行されていない巻――で、無意識の再記憶 (ressouvenirs inconscients) の上に私の全芸術論をすえる 。》(Marcel Proust, « À propos du “ style ” de Flaubert » , 1er janvier 1920)

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……彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)




私の作品はたぶん一連の 「無意識の小説 Romans de l'Inconscient」 の試みのようなものでしょう。(……)「ベルクソン的小説」というのは正確さを欠く言い方になるでしょう。なぜなら私の作品は、無意志的記憶(mémoire involontaire)と意志的記憶(mémoire volontaire)の区別に貫かれていますが、この区別はベルクソン氏の哲学に現れていないばかりでなく、それと矛盾するものでさえあるからです。 (Interview de Marcel Proust par Élie-Joseph Bois, parue dans le journal “Le Temps” du 13 novembre 1913)
これは極めてリアルな書 livre extrêmement réel だが、 「無意志的記憶 mémoire involontaire」を模倣するために、…いわば、恩寵 grâce により、「レミニサンスの花柄 pédoncule de réminiscences」により支えられている。 (Comment parut Du côté de chez Swann. Lettre de M.Proust à René Blum de février 1913)




われわれは、自分のすべての記憶を、自分に所有している。ただ、記憶の全部を思いだす能力をもっていないだけだ、とベルグソン氏の説にしたがいながら、ノルウェーのすぐれた哲学者はいった(……)。しかし、一体われわれが思いださない回想とはなんであろう?  

Nous possédons tous nos souvenirs, sinon la faculté de nous les rappeler, dit d'après M. Bergson le grand philosophe norvégien... Mais qu'est ce qu'un souvenir qu'on ne se rappelle pas? (プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)



あの小さな写真で、私は何だか打ちのめされたような様子をしているが⋯⋯この映画の唯一の目的は、それをはっきりさせることかもしれない。(ゴダール『JLG/自画像』)