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2018年4月21日土曜日

バッハの11の偉大なカンタータ

バッハの11の偉大なカンタータということが言われるらしい。

BWV 4, 12, 21, 51, 56, 61, 78, 80, 82, 106, 140 

わたくしがむかし(高校時代)よく聴いたのは、「偉大なカンタータ」11曲中の8曲、BWV 4, 12、21、61、78、80、106、140であり、それに加えて、BWV147 (これは今はもう聴かない。当時はピアノ版の楽譜まで買ったのだが。聴かなくなったのは馴染みすぎたせいなのかも)、BWV127、202である。もっともこれらのカンタータのレコードしかおおむね(田舎町に住んでいたせいもあり)手に入らなかったということもある。

かつてはカール・リヒター指揮版のみで聴いたのだが、ここでは、Ton Koopman、Philippe Herreweghe版を中心に貼り付ける。

BWV 4 Christ Lag In Todesbanden、Ton Koopman

二曲目は至高の合唱のひとつである。

BWV 12 Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen、

→ このBWV12の二曲目のなんたる奇跡! おなじ旋律がロ短調ミサにも使われているBWV 232 Crucifixus。メロディーの起源はヴィヴァルディの「泣き、嘆き、憂い、怯え Piango, gemo, sospiro e peno」である。

以下も、どれも強い愛着のある曲たちである。バッハのカンタータはたくさんあり過ぎるので、何度も聴くというわけにはいかないが、どれもこれも捨て去るわけにはいかない、魂をかき鳴らす曲だ。音楽の真の崇高さは、バッハにしかない。

平素以上に埋葬の多い場合には収入もそれにつれて増加しますが、ライプチヒは空気がすこぶる快適なため、昨年の如きは、埋葬による臨時収入に百ターレルの不足を見たような次第です。(バッハの手紙ーーデュアメル『慰めの音楽』尾崎喜八訳より)

???・・・

⋯⋯⋯今わたくしがこうやって列挙しているのは、これらの曲を忘れるな、という意味もある。どれもこれもピアノ編曲等されている名高い合唱があり、その箇所だけは何度も聴くのだが、実際のところ、とおして聴くことはもはやほとんどない曲群なのだ。

BWV 21 Ich Hatte Viel Bekümmernis
BWV61 Nun komm, der Heiden Heiland,
BWV78 Jesu, der du meine Seele
(Herrewegheのものを貼り付けたが、この曲だけは、カール・リヒター版でなくてはならない心持がどこかにある)

BWV 80 Ein feste Burg ist unser Gott
BWV106 Actus Tragicus(Gustav Leonhardt 指揮版を貼り付けたが、冒頭の合唱は、Gyorgy Kurtagによる至高のピアノ編曲がある)

BWV 140 Wachet auf, ruft uns die Stimme、(ああ、この曲も Ton Koopman ではなく、カール・リヒターでなくてはならない・・・じつはすべてリヒターでいいのだが、リヒター版の強烈な印象からなんとか逃れるために、そしてときに重苦しくなるので、別の指揮者のものを挙げているのである)

そしてバッハの11の偉大なカンタータ以外で好んだ二曲。

BWV 202 Weichet nur, betrübte Schatten
BWV 127 Die Seele ruht in Jesu Händen

最近は BWV38 Aus tiefer Not schrei ich zu dir も好んで聴く。とくに冒頭の合唱がお気に入りだ。そしてグールドが愛したBWV54も忘れるわけにはいかない。

さて、バッハの11の偉大なカンタータのなかで、あまり記憶にないBWV51, 56, 82とはどんな曲だったかな

BWV 51 Jauchzet Gott in allen Landen
BWV56  Ich will den Kreuzstab gerne tragen
BWV82 Ich habe genug 

ーーそうか、BWV56、82は、ディスカウの名唱で聴いた曲だったのか。当時は合唱を好んだので、これらのアリア曲のBWVナンバーを失念してしまっているけれど、どちらもとってもいいや。でもほんとうに久しぶりにきく。BWV 51も、今冒頭を聴いてみるとまったく耳にしていないわけではないけど、この曲はさてふたたび聴いてみようとするか。

いまカンタータだけを挙げてきたが、「わたしの中心」は、マタイの二つの合唱であるのは高校当時から変わりがない。
 
そしてときに、「喜ばしきトラウマ的記憶」に襲われた場合、これまたマタイとそしてヨハネのふたつの短い合唱が、わたくしのもとにやってくる。わたくしの《風立ちぬ、いざ生きめやも Le vent se lève, il faut tenter de vivre》である。




PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)




ああ、だがあの夢のなかを彷徨うような、1958年録音盤のリヒターの「マタイ第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに」を忘れるわけにはいかない。そしてこの箇所はディスカウでなければならない。1950年代のディスカウは、後年、プロフェッショナルになりすぎた彼とはほとんど別人である。